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今年も田植えの季節・消滅自治体考 ~せいうち日記185

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家のすぐ裏に水田が広がっていて、 ゴールデンウィークには田植えが行われる。 この時期マラソン練習は午前8時頃走ることになるが、田植え機や軽トラが道いっぱいである。 日本の人口はどんどん減っていてコメの需要も当然頭打ちであるが、わが家近くの水田は休耕田がほとんどない。谷間の奥まったところまで水が引かれている。印旛沼周辺は、江戸時代からのコメどころである。 いまの主力品種は日本中どこでもコシヒカリで、南魚沼産ほどではないが印旛のお米もおいしい。味に差がつかなければ、消費地に近い方が輸送コストの分有利である。房総では宮内庁ご用達の多古米が有名だが、印旛沼の方が水はおいしいはずである。 作業を指揮しているのは私より十は上であろうお年寄りで、やせて色黒なのが特徴である。若夫婦と孫が手伝っていて(孫は遊んでいるだけだが)、若夫婦はそろって色白でやせ型である。昔、農家のおばさんはたいてい太っていたが、いまやそういうことはない。 先だって、有識者による人口戦略会議とかの組織から発表があって、 今後30年で全国自治体の半数近い747が消滅する 可能性があるらしい。今後30年で私自身が消滅するのは9割方(99%か?)確実だからどうということはないが、報道のされ方が妙に意図的な印象がある。 というのは、自治体が成り立つかどうか税収と公共支出の観点からだけしか検討していないからである。再生産可能な女性人口だけに注目するのはその表れで、それを言い出したら日本そのものが消滅危険国家であろう。 いまのライフスタイルを続けるならば、日本全国平均して危険水域で、それをランキングして消滅危険とか維持可能とかいっても、椅子取りゲームの実況中継をしているだけである。 少子化をどうしても回避したいならイランのように男女差別するか、少なくとも男女平等に制限を加えるしかないが、先進国スタンダードのポリティカルコレクトネスからそれが許されない。ならば、移民自由化とか若い世代を増やす抜本的な対策を構想するしかない。 話は戻って わが印西市、千葉県に2つしかない持続可能自治体の1つである (もう1つは流山市)。政令指定の千葉市、東京ベッドタウンの市川市、船橋市、浦安市をさし置いてのトップ2入りである。 確かに印西市近郊では企業の進出が相次いでいるし、それに伴って住宅建設も急ピッチで

最低体重83.2kg ~糖質制限2024年4月

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2024年4月の最高体重は86.3kg、最低体重は83.2kgだった。 3月との比較では、最低体重は0.3kg減って記録更新、最高体重が0.5kg増えた。1年前と比べると、ともに3~4kg減っている。 わずかな増減に一喜一憂しないように心がけているが、これだけ絞れると体が軽く感じる。3~4kg減っているということは、1年前の最低体重より現在の最高体重の方が軽いということで、かなりのシェイプアップである。 一方で気になることがいくつかある。ひとつは糖質制限がなあなあになっていることで、3年前に比べると糖質をかなり多く摂っていることは間違いない。 白米・うどん・ラーメンの悪の枢軸(w)こそ回避しているものの、 暑くなって揖保乃糸をがまんできなくなってきたし、食パンの消費量も以前より増えている。 糖質0麺を買うことはほとんどなくなった。 糖質制限も一種の偏食なので、糖質を避けることばかり考えているのもよくないと思うが、かといって野放図に食べていればリバウンド必至である。何よりも量を減らすこと。大量に食べなければ極端なリバウンドはしないはずである。 もうひとつの気がかりは、体調面で気になることがいくつか出てきたことである。今年はじめに立ちくらみを起こして、ちょっとびっくりした。いまのところ小康状態であるが、今度は三叉神経が痛む。 2年前に85kgを下回ってシェイプアップした時、帯状疱疹になった。帯状疱疹は体内に潜伏していた水ぼうそうウイルスが、抵抗力が弱まることにより再び動き出すことで発症する。 だから85kgを割り込んでいるいまも気を付けなければならないのだが、 私の場合は患部が頭と顔だから、ウイルスがいるのは三叉神経である。 折に触れて奥歯や耳が痛むのは、その後遺症かもしれない。 奥さんに言わせると「どこも痛くない人なんかいない」そうだが、私の場合特に具合が悪くなければどこも痛くないのが普通である。だから、どこか痛かったり苦しかったりすると、一気にストレスが高まる。 約三十年前、血糖値が極端に上がった時には、夜中1時間おきにトイレに行くようになった。これはまずいと医者に行くと「糖尿病です」。以来、糖質制限で薬が減るまで何種類もの糖尿病薬を飲まなければならなかった。 歳だからある程度仕方ないし、だましだまし付き合っていく以外にないが

管理を放棄された県道? 足尾山・一本杉峠(完結編)

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一本杉峠から真壁町白井に至る道は、電子国土で黄色マーカーが引かれている。凡例によると県道・主要地方道を意味していて、きのこ山から丸山に至るパラグライダー林道より高規格のはずである。 もちろん、県道が砂利道であっていけない訳ではないが、路面が平らなのは一本杉峠からわずかの間だけで、 いつしか沢と道の区別がつかなくなる。 茨城県の常で、こうした道には必ずタイヤ痕がある。地図に載っていない山道でもあるくらいだから、1/25000図に載っている道なので当然ある。ただし、路面の凹凸は激しいし段差も半端ないから、2本見えるけれどバイクのタイヤ痕である。 ともあれ、タイヤ痕を追っていけば麓まで通じているはずである。そして、一本杉峠では一車線の砂利道だったはずが、道幅が狭くなり、路面にも尖った大きな岩が点在するようになる。右左を流れる沢と道との境い目も、だんだんあやふやになっていく。 そしてとうとう、道だったはずの場所に沢が流れていて、タイヤ痕はそこをさけて細い道に入っていく。登山道ともいえないような道幅であり、かつ斜めっているからよくバイクが入れたものだ。 よく見ると、道の両側には石積みの人工的な護岸があるのだけれど、 かなり以前から管理を放棄されているようで、 崩れた場所や陥没した場所が次々と出てくる。一度など、タイヤ痕が橋もない沢を渡って対岸に続いていた。 (後から調べたところ、この道は県道218号という有名な「険道」だそうだ。) 一時間ほど歩いただろうか。道は左右に分岐する。ここまでも分岐はあったのだが、入ってみると沢にぶつかったり森に入るのであきらめた。このはっきりした分岐が、雨引方面と白井方面と分かれる地点であったようだ。 ここを白井方向に進むと、ここまで心細い登山道だったものがにわかに道幅が広くなり路面も平らになり、やがて採石場が現われる。 このあたりからようやく、軽トラぐらいなら入れる道路になった。 ただ、「車両通行不能」の麓側の表示は真壁町白井の人家に入ってからあったから、採石関係者以外に車は入らない道なのだろう。水神や馬頭尊の大きな石碑の横を通ったので、かつては足尾山に向かう人々が通った道のはずである。 民家に出てからがかえって長くて、りんりんロードを経由して真壁休憩所に戻るまで、一本杉峠から2時間以上かかった。この日歩い

カネ儲けしたい奴には近づかない

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最近の趣味は山歩きとランニングだが、先週ランニングの集まりで、たいへん不愉快な思いをした。 興味ある方は 別ブログ をご覧いただくとして、改めて感じたのは、ポーカーやカシノの集まりでは、こんなことはなかったなぁということである。 ポーカーの集まりでは上野をはじめ大阪や名古屋、岡山、沖縄、カシノではマカオやラスベガス、テニアンでたくさんの方々にお世話になった。もちろん勝った負けたがあるのでいつも上機嫌ではいられないにせよ、ほとんどの場合は来てよかったと思うことができた。 ごちそうになったことも再三あったし、会場やいろんな手配、現地での折衝など、会費では到底追いつかないくらいのご負担をおかけしたし、見返りを求められることなどなかった。七十年近い人生で、あの時だけかもしれない。 YouTubeでひろゆき氏が、 お金持ちは自分が負担することを苦にしない。 細かいことを言うよりカネを出せば解決するならそうすると言っていたけれど、そういうことである。お金持ちにはいい奴が多いのだ。 先だって読んだある本に、貧乏人が長生きするのにもっとも効果がある方法は、お金持ちの多く住む場所に引っ越すことだと書いてあった。 ビッグデータ で証明されているそうだ。おそらくこれも同じことである。 逆に、これまでの人生で 嫌な思いをした時を思い出すと、ほとんどすべて、他人の足を引っ張りたい奴、カネ儲けしたい奴が関わって いる。これは実は同じことで、他人が持っているモノを手に入れたいということなのだ。 そういう連中は、お金持ちとは逆の考え方をする。自分が負担するのは絶対に嫌でカネは他人に押し付ける、もしくはいいとこ取りをするのは当然という考え方をする。無防備に近づけば、餌食になるだけである。 (貧乏なコミュニティは平和で助け合って生きているというのも都市伝説で、実際は盗難が日常茶飯事でいろんな犯罪の巣窟となっているという。) だから、できるだけ付き合いは広げない、他人と関わり合いにならないことがすぐれた自衛手段なのだけれど、人間が甘いのか時々こうやって危険地帯に近づいて嫌な思いをしてしまう。 人生の中で、本当のお金持ちとお近づきになる機会はほとんどない。いい奴というのは高学歴にもいなければいい会社にもおらず(もちろん身長にも関係なく)、多くの人は他人を出し抜い

雪の急傾斜を下る。そして車両通行不能の道へ 足尾山・一本杉峠(後編)

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本殿の左奥から、かなり斜めった石段を登る。少なくとも昭和はじめだから百年近く前、もしかして明治に作られたとすると百五十年前ということになる。昔のものにありがちだが、段が小さくて急である。四、五世代前は足が小さかったのだ。 3ヶ所ほどの踊り場を越えると、広くなった足尾山頂である。石組みを整えたのは近年で、ちょうど正方形に石材が積み上げられている。意外にも声がする。まだ10時半、どちらのルートから来たのだろうか。 奥宮まで上がってまず拝礼。 晴れわたり風もなく、周囲は四方向とも眺めが開けている。 麓でも見えていた日光連山がくっきり見える。左手に彼方の山々が連なっている。 「八ヶ岳、あれは北アルプスかな。いい景色ですね」先客は女性で、私よりずいぶん若い。岩瀬から登って筑波山まで縦走するんだそうだ。岩瀬からだとこの時間には、早いパーティーでも燕山の東屋だから、ずいぶんハイペースである。 「こんなに雪だとは思わなかったので、チェーンアイゼン持って来ませんでした。加波山あたりはたいへんだったです」足尾山は627mだが、加波山は708m、燕山は702mとさらに標高が高い。傾斜も急なので、積もればさらに滑りやすいだろう。 先客がここでお昼休憩にする気配だったので、早めに休憩を切り上げる。この日は一本杉峠まで通ったことがある道だが、その先は初見である。 足尾山からの下りは北側斜面で急傾斜、いきなり積雪である。 私もチェーンアイゼンは持ってきていない。いないどころか、暑くなる方を心配していたのである。滑り落ちないよう慎重にステップを切る。なんとか林道まで下りた。 林道の先に東屋があって、記憶ではその横の登山道を下ると近道なのだが、雪道は危ないしかえって時間がかかる。轍の跡だけでも雪のない林道を進む方が安全である。緩いカーブを下る。 方向転換すると、木々の向こうに丸山の風力発電施設と加波山が見えてきた。プロペラは一つだけゆっくり回り、もうひとつはまったく動いていなかった。そのくらい風のない日だった。 坂を下り切ると一本杉峠。石組みの上にベンチが見えるが、そこまでは登らない。きちんとした舗装道路はここまで来た足尾山からの道とこの先丸山へ向かう道で、交差している八郷方面への道と真壁町白井への道は砂利道で心細い。 心細いどころか、「この先車両通行不能」「