館岸山は最後まで景色が開けず 吾国山・館岸山(完結編)
長沢三角点の次の目標は、383mの御殿三角点である。スマホのナビをみる限り、境界見出標12番の広くなった場所を示すのだが、三角点らしきものは見当たらない。周囲は林の中で、三角測量できそうな場所もない。 少し北に進んでみたけれど見つかりそうもないので、あきらめて先に進む。そして、 次の目標である加賀田山もやはり見つからないのである。 加賀田山の名前はおそらく麓の加賀田集落からきていて、下から見ると目立つ山なのだと思う。しかし国有林管理道を歩くと眺めは開けず、ただ木々に囲まれた道というだけである。WEBでは目印の山名標があるのだが、撤去されたのかもしれない(最近、国有林の目印が次々と撤去されている)。 そもそも加賀田山に三角点はないし、管理道の中間にあって分岐点でもない。だから何も目印がなければ通り過ぎてしまうのである。登り下りが続くので、ピークらしき場所はたくさんある。もちろん、管理には境界標があればいいというのが林野庁の公式見解だろう。 次の目標は館岸山との分岐だが、ここも鈴木さんの本に載っている行先案内が見当たらなかった。しかし、スマホのナビによるとこのまま直進しても金毘羅山に行き過ぎてしまうので、それらしき踏み跡を辿る。1/25000図の道でもなかった。 とはいえ、道なりに進んで急傾斜を飛び下りると、消えかけた道案内が「加賀田山 →」と下りてきた方向を示していたから、おそらく登山者はここを通るのだろう。急傾斜の下は、太い砂利道になっている。 ここから館岸山までは、基本的に下り坂である。通ってきた三角点が350~400m、館岸山が標高256mだから、当然そうなる。 最後に一転して急坂を登ると館岸山になる。 ここも、まったく展望は開けていない。道案内の標識もいくつかあるが、みんな朽ちてしまって読むのも難しい。地元おこしでハイキングコースを作ったものの、そんなに景色もよくないし周囲は採石場になってしまったので、どんどん寂れているような気配だった。 寂れているのは中腹にある館岸城址も同様である。ここは難台山城と同時期、南北朝争乱時にできた城なのだが、もともと遺っているのは土塁とか城割だけである。おそらく整備に骨折った人達が年老いてしまったのだろう、施設も立て看板も草むらの中である。遊歩道がどこなのかも判別できない。 そして、いくつか立...