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神戸の鉄人28号

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現役時代、出張の合間にいろんなところに言った。一人でもいろいろ調べて行くのだが、時々出張先で一緒の人達と珍しい場所に行くこともある。 下の記事は16年前、2008年12月である。神戸の出張で、珍しいものがあると現地の人に案内された。出張とかでないとなかなか神戸まで出かけることはできないが、仕事とセットなので楽しいことばかりではない。 なつかしく思う反面、やっぱりいまの方がいいと思ってしまうのはやむを得ないところである。 ------------------------------------------ 神戸市長田区は、阪神淡路大震災で大きな被害を受けた所である。今回の出張の帰り道に、長田区に登場した鉄人28号を見に行ってきた。 なぜ長田区に鉄人なのかというと、作者の横山光輝氏の故郷なのだそうである。商店街には鉄人だけでなく、氏の作品である「三国志」にちなんださまざまの人物像(諸葛孔明とか関羽とか)も展示されている。 (展示パネルによると、横山氏は最初、神戸銀行に就職して短期間で辞めたそうである。何となく他人のような気がしない。) 正直なところ、三国志は氏のオリジナルではなく、ちょっと首をひねるところもあるけれど、まあ堅いことは言わないでおこう。ちなみに横山光輝というと鉄人の次は伊賀の影丸で、われわれの世代に由比正雪の乱が有名なのは影丸の功績も大きいのだが、「伊賀のカバ丸」と混同されることもあるのだろうか(そんなことはない)。 それはともかく、鉄人28号は新長田駅前にいた。18メートルの巨体はおそらく原作にそう書いてあるのだろう。付近のビルの4、5階あたりには達している。なんといっても昔の作品なので、一緒に行った人達と、 「鉄人って、飛ぶんでしたっけ?」 「“ビューンと飛んでく鉄人”っていうくらいだから、飛ぶでしょう。」 「アトムも飛びますよね。エイトマンはどうでしたっけ?」 「エイトマンは流星号に乗って飛ぶんじゃなかったですか?」 「流星号はスーパージェッターでしょう。」 「じゃあエイトマンは弾よりも早く走るだけですか。」 などと、お互いに昔の記憶をたどるのが大変である。 強化プラスチックで出来ているのかと思ったら、なんと鉄人だけに鉄である(叩いて確認してみた)。中に木の骨組みがあって、工場で部分ごとに成型した鉄

中高年の山歩き・養老渓谷

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マラソンの28年ほどではないが、山も30代の頃歩いた後、20年近くのブランクがあった。再開したのは2012年、以来、ブログで「中高年の山歩き」シリーズを連載している。 再開第一弾は養老渓谷。房総半島の真ん中あたりにある、山とか谷というより高原である。それでも過疎化は避けがたく、アクセスする小湊鉄道もいすみ鉄道も、本数も少なくすぐ不通になる。 房総は標高は低いけれど山深く歩いていて飽きないが、アクセスが不便なのと冬くらいしか歩けない(すぐにヒルの季節になる)ので、さいきん足が遠のいている。廃墟が次々増えるのと、登山道が廃道化しつつあるのも気になった。 以下は2012年3月の記事。もう12年も前のことになってしまった。房総の山で会ったお年寄りの方々は、いまでもお元気だろうか。 ------------------------------------------- 4月以降時間に余裕ができる目処が立ったのはいいけれど、ここしばらくの激務で、体が大丈夫か心配である。終電後に家まで歩いたのは7年前、沖縄で炎天下を歩いたのだって3年前のことである。何をどうするにしても、基本となるのは体力と体調、という訳で、長距離を歩いてみることにした。 千葉県は高い山がないため、歩くとすると南房総の丘陵地帯。紅葉の季節ではないが、養老渓谷から大福山まで歩いて、帰りは逆方向の上総亀山に抜けることにした。目の子で約16km、約4時間の行程となる。 JR五井で乗り換えて、小湊鉄道に乗り換え。ここから養老渓谷まで約1時間。昔は小中学生で一杯だったが、この日は中高年層で一杯である。いまどきハイキングする人なんているのかなと思っていたが、立っている人が半分くらいいるのには驚いた。隣に座ったおば(あ)さん方は1時間の車中でずっとしゃべっていた。iPODを持って来るべきだったと反省。 考えてみるとこのあたりに子供達を連れてきたのは二十年近く前だし、その時は車を運転してきたから電車には乗っていない。今回電車にしたのは、現在の体力を考えると、10km以上歩いた帰りに運転するのは非常にきついし危ないと思ったからである。これからのレジャーは、安全第一を心がけなくてはならない。 さて

しゃくなげ荘

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いよいよ今週は八街落花生マラソン。計ったように涼しくなってきて、マラソンシーズンがやって来た。 2024年の今年は再開3シーズン目だが、28年間ブランクがあって、その前に走ったのは30代の頃だった。信州まで旅ランに行って、走った後に穂高温泉・しゃくなげ荘まで車を走らせた。マラソン後で満員になり、休憩室に入り切れずみんな廊下で休んでいたのを思い出す。 いい温泉だったので、その後泊りに行った。燕岳や白馬岳に登るときに便利な宿で、バスもここを経由して山に行っていたが、十数年前に閉館となってしまった。惜しいことである。 最初に行った時に参加したマラソン大会も、いまはやっていない。その時でなければ、出ようと思っても出られなかったのである。時間は何よりも大切だとつくづく感じる。以下は2011年9月の記事。 ------------------------------------- 何度も書くのも気が引けるのだが、ここしばらくは忙しい部署に異動になって好きな温泉にもほとんど行くことができなかった。この3連休に久々に出かけることができたので、その時の話。 穂高温泉郷はその名のとおり北アルプスの山麓にある。前にも行ったことがあって、もう十七八年前のことになる。以前は穂高町、豊科町、三郷村などといったのだが、最近合併して安曇野市となった。今回お伺いした「しゃくなげ荘」はもともと穂高町営の施設で、現在は民営化されているようだが、「以前と建物もお風呂も変わっていません」とのことである。 前に訪れた時は三郷村の行事「アップルマラソン」に参加して10kmを走り、その足でこちらに寄り日帰り入浴をさせていただいた。同じようにマラソン参加者が大挙しておしかけたのだが、湯量も豊富でスペースには比較的余裕があるので、廊下に座り込んで風呂上りの休憩をとった記憶がある。今回はゆっくりと宿泊である。 泉質は弱アルカリ性単純泉。アルカリ泉特有の、肌にしっとりとくるなめらかなお湯である。ここで気に入ったのは、浴槽が2つに分かれていて熱い湯(43度くらい)とぬるい湯(40度くらい)になっているところ。源泉が60度以上あるため、いずれにせよ加水してある。最近源泉かけ流しにこだわりすぎてやたら熱い湯のところがあるが、ゆっくり入れるのはやはり適温のお湯である。 最小限の加水であれば、

至仏山行ってきました

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至仏山に行ってきました。4年前に鳩待山荘の人に「この時間(11:30)からはやめてください」と言われて断念したので、尾瀬戸倉から歩いて至仏山荘泊で再チャレンジしました。 この日の行程 尾瀬戸倉(984) 10:50 12:30 工事擁壁(1285・昼食) 12:45 13:10 津奈木橋(1370) 13:10 14:15 鳩待峠(1591) 14:30 15:30 至仏山荘(1420) 5:40 6:30 第一ベンチ(1562) 6:40 7:15 木段(1730) 7:20 8:25 中間点先(1920) 8:30 9:40 至仏山(2226) 9:55 10:55 小至仏山(2162) 10:55 11:25 オヤマ沢田代(2120) 11:25 12:35 鳩待峠(1591) [GPS移動距離 初日 15.7km 二日目 8.0km] 詳しい登山記録は ブログ (https://godowngamblin.hateblo.jp/)にて。10月3日から毎週木曜日掲載予定。   p.s. 中高年の山歩きシリーズ、バックナンバーをご覧になりたい方は こちら 。  ↓どれかクリックしていただければうれしいですが、ブログ村は最近広告ばっかりなので、データ無制限でない方はご注意ください。      

沖縄で冒険

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このところ、台風が沖縄・奄美方面に向かって行くので、天気予報で南西諸島の映像がよく映される。沖縄は全国でも一番遅く訪れた県のひとつで、仕事で日帰り出張(!)したのが最初だった。 その後、仕事でもプライベートでも何度か行ったのだが、年金生活に入ってからとんとご無沙汰である。面白い料理がいっぱいあって泡盛もうまいのだが、なにせおカネがかかる。1シーズンのマラソン大会の参加費を足したよりもっと多い。 以下は2009年7月、15年前の記事である。 ------------------------------------------ 沖縄にプライベートで行くのは初めてである。大体の地理は理解しているつもりだけれど、ひとに連れて行ってもらってばかりなので土地勘はほとんどなく、地図も持たないで歩き回ろうというのはかなり無謀である。それはそれとして、事件(?)は勝連から次の目的地である北谷(ちゃたん)に向かうところで起きた。 勝連は沖縄中部の東海岸、北谷は西海岸である。沖縄のバスはたいてい那覇との往復路線なので、中部を横断する路線バスはない。バス停の路線図をみると、那覇行きに乗ってコザで下りると、そこから北谷に向かうバスがあるようだ。1時間に1本くらいしかないバスがちょうど来たので、とりあえずコザまで移動する。 コザのバス停で下りたけれども、はて、北谷行きの路線など見当たらない。もしかすると違う停留所があるのかもしれないと思って、手前の十字路に戻って探すと、案の定違う方向に別の停留所があった。そこまで行って時刻表をみると、なんと、北谷行きのバスは朝と夕方しか出ていないのであった。 次のバスは3時半、いまの時刻は1時過ぎ、まだ2時間以上ある。困ったなあと思っているうちに、違う行先のバスが来て、私を見てドアを開けた。仕方がない。分岐点まで乗って、後のことはそれから考えよう。 バス停を3つか4つ行く間に、次の交差点を右に折れると北谷という表示が見えた。バスはどうやら直進するようだ。あわてて下りる。北谷まで何kmという表示がないのが気がかりだが、とりあえず方向は合っているようなので歩くことにする。みるとタクシーもそこそこ走っているので、いざとなったらタクシーという手もある。 交差点から標識どおりに右に折れる。おそらく北方向に向きを変えたと思われた。衣料品を