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リタイアしたのは10年前

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 リタイア後に四国お遍路を完結させ、直後にコロナ騒ぎがあった。それから糖質制限をして体重を減らし、ランニングを始めて現在に至る。考えてみると、リタイアした10年前から自分の中で時計がちゃんと動いているようだ。 会社にいた時は、「このままだと大変なことになる」とアラームが鳴りっぱなしだった。ここ10年、そういうことはない。朝起きるのが嫌なことはないし、そもそも嫌な事はしない。そもそも他人と一緒に働くのが性に合わなかったのかもしれない。 以下は2016年7月の記事。いま210台に入っているせいうち日記の94回目であった。 ---------------------------------- 単身赴任で隔地転勤となり、辞める前に40日の有給休暇プラス未消化有給休暇100日を何とか少しでも使えないかと算段していたのだが、くよくよ考えているのが時間の無駄なような気がして、サッパリと辞めることにした。 休暇はいらないと言ったのがよかったのか、 そもそも隔地転勤自体が退職勧奨だった のかは何とも言えないところだが、特に面倒もなく7月末で退職が決まった。時期的に仕方ないが7月最終週まで出張があるし、他にも仕事の予定が入っている。とはいえ、来月からいないのだから、新しい仕事を他人任せにできるのはありがたいことである。 何人かの人に「急な話ですね」と言われたのだが、もともと会社とは今年初めからしていた話なので、自分としてはそんなに急に決めたという訳ではない。それでも、普通は3月とか9月とか期の切れ目まで勤める人が多いから、その意味では普通とは違う。それが7月という時期になったのは、 自分の中でセンサーが鳴りっぱなしになっていた からである。 聞こえない声で、「カネとか休暇消化とかにこだわっていたら、大事なものを失うことになる」というメッセージが届いていた。単身赴任というのがまずよろしくないし、ストレスで心身を壊したら元も子もない。こればっかりは、後悔先に立たずでは困る(もちろん、人繰りが厳しいのに慰留されなかったのもありがたいし、ボーナスをもらった後ということもある)。 さて、退職するのも3回目だから、もうベテランである。手続き的なことや経済的なことは、改めて「年金生活特別編」としてお送りするつもりであるが、とりあえずは...

糖質制限は5年前のことになった

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ブログ村のカテゴリーの1つは、低炭水化物ダイエットにしている。リタイア後に劇的に変化したことのひとつが体重激減で、おかげさまでもうすぐ70なのに健康を維持できている。 自分は砂糖中毒ではないだろうかと調べ始めて、糖質制限という言葉に出会った。それまでまったく知らなかった。糖尿病で二十年来医者に行っていたし、人間ドックは毎年受けていた。メタボだと何度も指摘されたが、糖質制限と言う言葉を聞いたことがなかった。 これは、私がうかつだというより、日本の医療機関が問題なのだろう。糖質制限は20世紀からあったし、メタボと指摘するだけなら医者でなくてもできる。本当に役立つ情報を提供しない連中に、将来はない。おそらくAIに取って代わられるだろう。 以下は2021年、糖質制限を始めた頃の記事である。 ------------------------------------------------ 糖質制限を続ける際に 何が最大のネックになるかというと、おカネがかかるということ である。カロリー当たりの単価にすると、炭水化物が抜群に安くて脂肪・タンパク質の半分くらいではないだろうか。 市場に出回っている商品に炭水化物が圧倒的に多いから、大量生産によってコストが下がるということはある。ただ、肉を作るには動物に飼料を食べさせなくてはならないので、同じ炭水化物をそのまま食べるのに比べて割高になるのはやむを得ないのである。 肉以外のたんぱく源についても同様で、大豆をそのまま食べればコスト的には米・麦と大差ないはずだが、豆腐やおからに加工するまで何段階かの工程が必要である。その手間賃が余計にかかるから、その分割高になる。 これまでお昼に食べていたインスタントラーメンは、サッポロ一番で75円、中華三昧や冷凍ラーメンでも100円ほどである。 対して、紀文の糖質0麺は200円以上するし、相模屋のスンドゥブも180円、ほぼ倍である。 最初は仕方ないとあきらめていたが、しばらく続くと何とかならないかと思うようになる。 糖質0麺と同じ棚に、スープの付いてないとうふ麺を売っている。紀文ではなく町田食品というメーカーで、2食分230円ほどだから、冷凍ラーメンよりちょっと高いくらいである。含まれる糖質の量はほとんど変わらない。 試しに買ってみると、味は紀文の麺とほとんど変わらない。こんに...

苦闘のお遍路歩き3 幡多路を足摺へ

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宇和島から松山市、高松郊外の五色台も雨だったが、足摺岬に向かう幡多路も大雨だった。季節は春なのに、私が歩くといつも雨である。 岩本寺に泊まった夜から雨になり、翌日の行程はほとんど雨。同宿のお遍路さんの中で最も遠い場所に次の宿をとり30km以上歩かなければならないことに加え、歩いている途中で傘が壊れて大変な思いをした。 歩いたのは2017年3月、記事は2017年11月に書いた。 -------------------------------------------------    「こぶしの里」で10分くらい休んで、再び大雨の中を出発する。 すごい勢いで雨が降ってくるので、景色を楽しむゆとりもない。こぶしの里あたりでは道路の反対側で工事をしていたようであたり一面の木が伐採されていたが、5分も歩かないうちに再び左手は森、右手は下方に集落が見える。 このあたり、国道を歩くよりも集落の道を歩いた方がいいのにと思いながら歩いたのだが、後から遍路地図を見るとそういう道もあったようである。しかし、前に述べたように山道のどこかで遍路地図コピーをなくしてしまったので、分かりやすく国道を進む他はないのであった。 荷稲(かいな)、小黒の川、不破原と真念「道指南」に載っている古くからの村を通り過ぎる。とはいえ民家は右手ずっと下の方にあり、国道の現地点表示にそう書いてあるだけである。伊与木川に沿って下り勾配のはずだが、山腹にある国道はアップダウンを繰り返すので楽ではない。 そして、朝から降り続く雨で、路面にはどこもかしこも大きな水たまりができている。 トラックやトレーラーが通るたびに、歩道まで豪快に水しぶきを上げる。 レインウェアを着けているので少々の水しぶきなら大丈夫とはいえ、頭から水をかけられると顔にまでかかって気持ち悪い上、スボンの裾からウォーキングシューズの中に水が入る。 こんな天気で歩いているから遍路と分かりそうなものだが、脇を通る際にスピードを落として、なるべくしぶきを上げないようにしてくれる車もある一方で、むしろスピードを上げてわざとしぶきをあげる車もある。遍路をよく思っていない人も多いということであろう。 こぶしの里から約1時間歩いて、ようやく伊与喜に着いた。土佐くろしお鉄道の駅がある街だが、それほど大きくはない。そして、この先に、一...

苦闘のお遍路歩き2・根香寺

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秋の長雨が続いている。近年は温暖化で梅雨も秋の長雨もなかったので、久しぶりである。 前回は松山市内に入るまで1週間続く雨を振り返ったが、高松の五色台、白峯寺から根香寺(ねごろじ)も大雨だったことを思い出した。この時も、讃岐国分寺から五色台を登る最中すでに大雨。雨は朝方という予報だったのに、根香寺に着くまでさらにざーざー降りだった。 歩いたのは2019年10月だから7年前、ブログで記事にしたのは2020年8月である。 ------------------------------------------------------------ 東屋で腰を下ろして何時間ぶりかにほっとした時間を過ごす。もうすぐ正午。午後には雨が上がるという予報なのだが、止む気配はない。 先ほどまで山道の中で「いい加減にしてくれよ」とつぶやいて いた時ほど沈んだ気分ではないものの、弾んだ気分ではない。 公園を出て根香寺に向かう。「みち草」と看板の出ている売店の横を抜けてしばらく歩くと、「根香寺まで1km」の案内標識がある。分岐の先は舗装されていない土の道だが、ハードな登山道ではなさそうだ。予定より遅れていたこともあって、この遍路道を選んだ。 しかし、ゆるやかだったのは最初だけで、ほどなく岩がごつごつした坂道となった。やっぱり、舗装道路を行くんだったと思ったけれど、後の祭りである。十九丁あたりを歩いていた時より雨が弱くなってきたのが救いであった。 この遍路道は「讃岐遍路道」として国の史跡に指定されている。白峯寺から十九丁を経由してこの遍路道は、真念「道指南」も通った経路ということである。 途中に五色台のへんろ小屋がある。屋根付きで壁もきちんと付いた建物である。 小屋の前に東屋もあり、休憩できるベンチもある。もう少し前にあれば当然休んで行ったのだが、10分ほど前に公園の東屋で休んだばかりである。時間もないのでそのまま通り過ぎる。 泊まることもできるとどこかに書いてあったと思うが、寝る場所はともかく水や食糧を手当てできる場所まで遠いので、大変だろうと思った。根香寺には売店も自販機も見当たらなかったし、へんろ小屋にもない。県道に戻るしか手段がないようで、とても私には無理である。 そもそも、野宿どころか小屋泊も通夜堂泊も、風呂やシャワーがなく洗濯機もないので、翌日ちゃんと...

苦闘のお遍路歩き・三坂峠

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今回、千葉県豪雨でたいへん怖い思いをしたが、 十年前のお遍路歩きでもっとも苦難だったのは、大宝寺・岩屋寺から松山市内に入る経路であった。 何しろこの回の区切り打ちでは、1週間以上連続で雨降りの中歩いた上に、最後は台風が来て予定を切り上げて家に戻ったくらいである。下の記録は三坂峠。久万高原から松山市に入る山間部だが、連日の雨で道は川と化し、ところどころ路肩も崩れて危ない状況だった。ほとんど人通りもなく、何かあったら大変なところだった。 歩いたのは2017年10月、記事にしたのは2018年8月である。 ----------------------------------------------------------------------------- 三坂峠の下りに入る。 連日の雨で道がぬかるんでいて、ずっと足下に注意しなければならない。 スイッチバックの急坂でスピードが出ない上、ところどころ側面が崩れているところもあるし、道が川になっているところもある。遍路道というよりは登山道レベルの道というべきである。 この回の区切り打ちで何度か峠越えを経験したが、その中でも最も困難な道であった。疲れたといえば久万高原への鴇田峠越えや、大宝寺から峠御堂トンネルまでの方が疲れたけれども、あの時以上に足場が悪かった。へんろ道はたいてい砂利くらい敷いてあるのだけれど、この道は泥の中を下りて行くのである。 ひとしきりスイッチバックを下りた後は、谷に沿ったトラバース道である。見通しが利かないので、実際にどういうところを歩いているのか分からない。建物の屋根のようなものが見えたと思ったが、そこまで下りても何もないということが2、3度あった。 谷に近くなると、今度は登山道を遮って川が流れている。 足が乗る程度の大きさの岩を足場にして、なんとか渡渉する。この川は普段からこんなに水量があるのか、あるいは連日の雨でこうなったのかよく分からない。いずれにせよ、山歩きの経験のない年寄りが歩くとすれば危険の多い道と言わざるを得ない。 さらに下って行くと、今度は山側の斜面が崩れて土砂が登山道を覆っている。滑らないよう慎重に進む。すでにウォーキングシューズは半分以上泥に埋まり、速乾白衣も泥まみれである(後の話になるが、この泥汚れはとうとう落ちなかった)。 あとから振り返...