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苦闘のお遍路歩き2・根香寺

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秋の長雨が続いている。近年は温暖化で梅雨も秋の長雨もなかったので、久しぶりである。 前回は松山市内に入るまで1週間続く雨を振り返ったが、高松の五色台、白峯寺から根香寺(ねごろじ)も大雨だったことを思い出した。この時も、讃岐国分寺から五色台を登る最中すでに大雨。雨は朝方という予報だったのに、根香寺に着くまでさらにざーざー降りだった。 歩いたのは2019年10月だから7年前、ブログで記事にしたのは2020年8月である。 ------------------------------------------------------------ 東屋で腰を下ろして何時間ぶりかにほっとした時間を過ごす。もうすぐ正午。午後には雨が上がるという予報なのだが、止む気配はない。 先ほどまで山道の中で「いい加減にしてくれよ」とつぶやいて いた時ほど沈んだ気分ではないものの、弾んだ気分ではない。 公園を出て根香寺に向かう。「みち草」と看板の出ている売店の横を抜けてしばらく歩くと、「根香寺まで1km」の案内標識がある。分岐の先は舗装されていない土の道だが、ハードな登山道ではなさそうだ。予定より遅れていたこともあって、この遍路道を選んだ。 しかし、ゆるやかだったのは最初だけで、ほどなく岩がごつごつした坂道となった。やっぱり、舗装道路を行くんだったと思ったけれど、後の祭りである。十九丁あたりを歩いていた時より雨が弱くなってきたのが救いであった。 この遍路道は「讃岐遍路道」として国の史跡に指定されている。白峯寺から十九丁を経由してこの遍路道は、真念「道指南」も通った経路ということである。 途中に五色台のへんろ小屋がある。屋根付きで壁もきちんと付いた建物である。 小屋の前に東屋もあり、休憩できるベンチもある。もう少し前にあれば当然休んで行ったのだが、10分ほど前に公園の東屋で休んだばかりである。時間もないのでそのまま通り過ぎる。 泊まることもできるとどこかに書いてあったと思うが、寝る場所はともかく水や食糧を手当てできる場所まで遠いので、大変だろうと思った。根香寺には売店も自販機も見当たらなかったし、へんろ小屋にもない。県道に戻るしか手段がないようで、とても私には無理である。 そもそも、野宿どころか小屋泊も通夜堂泊も、風呂やシャワーがなく洗濯機もないので、翌日ちゃんと...

苦闘のお遍路歩き・三坂峠

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今回、千葉県豪雨でたいへん怖い思いをしたが、 十年前のお遍路歩きでもっとも苦難だったのは、大宝寺・岩屋寺から松山市内に入る経路であった。 何しろこの回の区切り打ちでは、1週間以上連続で雨降りの中歩いた上に、最後は台風が来て予定を切り上げて家に戻ったくらいである。下の記録は三坂峠。久万高原から松山市に入る山間部だが、連日の雨で道は川と化し、ところどころ路肩も崩れて危ない状況だった。ほとんど人通りもなく、何かあったら大変なところだった。 歩いたのは2017年10月、記事にしたのは2018年8月である。 ----------------------------------------------------------------------------- 三坂峠の下りに入る。 連日の雨で道がぬかるんでいて、ずっと足下に注意しなければならない。 スイッチバックの急坂でスピードが出ない上、ところどころ側面が崩れているところもあるし、道が川になっているところもある。遍路道というよりは登山道レベルの道というべきである。 この回の区切り打ちで何度か峠越えを経験したが、その中でも最も困難な道であった。疲れたといえば久万高原への鴇田峠越えや、大宝寺から峠御堂トンネルまでの方が疲れたけれども、あの時以上に足場が悪かった。へんろ道はたいてい砂利くらい敷いてあるのだけれど、この道は泥の中を下りて行くのである。 ひとしきりスイッチバックを下りた後は、谷に沿ったトラバース道である。見通しが利かないので、実際にどういうところを歩いているのか分からない。建物の屋根のようなものが見えたと思ったが、そこまで下りても何もないということが2、3度あった。 谷に近くなると、今度は登山道を遮って川が流れている。 足が乗る程度の大きさの岩を足場にして、なんとか渡渉する。この川は普段からこんなに水量があるのか、あるいは連日の雨でこうなったのかよく分からない。いずれにせよ、山歩きの経験のない年寄りが歩くとすれば危険の多い道と言わざるを得ない。 さらに下って行くと、今度は山側の斜面が崩れて土砂が登山道を覆っている。滑らないよう慎重に進む。すでにウォーキングシューズは半分以上泥に埋まり、速乾白衣も泥まみれである(後の話になるが、この泥汚れはとうとう落ちなかった)。 あとから振り返...

出張のひそかな楽しみ・皆既日食

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近年は財政的に厳しく、泊りがけでどこかに行くのが難しくなった。以前は国内・海外いろいろ行った。その上、出張の行き帰りに気になる場所を見に行くこともできた。 いまや、諸物価高騰やインバウンドの影響で、ビジネスホテルを出張旅費で泊まるのも難しくなったらしい。その意味では、いい時期にサラリーマンをしていたと言えなくもない。 以下は2009年7月の記事。出張で泊まったビジネスホテルの一人飲みについて書いた。その前の時代には現地担当者と飲み会があったらしいが、私の時代にはなかった。正直なところ、一人の方が気を遣わなくていい。 この年皆既日食があったが、残念なことに九州南部は雨だった。次の皆既日食は2035年。記事を書いた頃は「あと30年ない」だったが、あと9年である。それはそうと、こんなに食ってりゃ太るのも無理ない。 ---------------------------------------- この7~8月にほとんど唯一スケジュールが空いていたのは海の日3連休の前後であったが、 ここにも仕事が入って、夏休みの目処はまだついていない。 22日の日食を、皆既は今からでは難しいけれど(宿どころか船も一杯らしい)、95%欠ける九州南部で見ようと思ったのもつかの間のことであった。 ちなみに、皆既日食は日本ではあと30年ないけれど、金環日食は何年かすると東京でも見られる。太陽と月のみかけの大きさはほぼ同じで、皆既は月がやや大きく、金環は太陽がやや大きい(太陽・地球・月の位置関係による)。だから昼間なのに星が見えるくらいに暗くなるのは皆既日食の方なのであるが、スペクタクルということでは皆既も金環も同じく感動的ではないだろうか。 というわけで、こう出張が続くとストレス解消も大変である。昔は、その土地の名物を肴に一杯というのが定番であったが、歳とともに酒が飲めなくなり、また仕事が終わって出歩く体力もなくなってきた。出張費もぎりぎりしか出なくなって懐の余裕も乏しい。加えて、私はひと付き合いがあまり得意ではない。 ということで最近多くなったのが、食べ物飲み物を買ってきて ホテルで一人「部屋飲み」 というやつである。近くに駅があれば駅弁、スーパーがあれば出来合いのお弁当を買ってくる。最近は、結構安くておかずもいっぱい入っているものが多い。つまみも適当に買う。今夜は2000円以...

リスボアカシノ

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 足しげく香港・マカオに通ったのは50歳になる少し前だから、かれこれ20年前のことになる。当時は返還後それほど年月が経っていなかったので、「一国二制度」でこれからもやっていくんだろうと気楽に考えていた。 ところが、民主化運動が大目に見られたのもわずかの間で、いまや北京に逆らうことは許されない。日本人で捕まったのも麻薬関連だけという建前だが、本当かどうか誰にも分からない。 その意味では、私がたびたび訪れたのはいい時期だったことは間違いない。二十年後のいまはもう難しいし、二十年前は逆に近代化されていなかった。一期一会。後から行ってみたいと思っても、どうにもならない。 以下は2005年6月の記事。ブログ・ホームページを始めた当時、21年前の記事である。もはや、旅行ガイドとしても読めないというか、お薦めできない。 -------------------------------------------------- リスボアカジノはもともとリスボアホテルに併設されているカシノ のはずなのだが、マカオ常連客でここを定宿にする人はあまりいない。とにかく値段が高い(平日でも700HK$を下回ることはほとんどない)上に、部屋もあまり大したことはない。メリットは雨に濡れずにリスボアカジノに行けることと、ホテル内の飲食施設が整っていることだが、リスボア側もホテルのグレードを上げようという気はあまりないようだ。 私が何度か行ってみて非常に気になったのは、午後2時チェックインのはずなのだが、2時過ぎに行って部屋に入れた試しがない、ということである。海外旅行者にとって、荷物を持ったままの移動はあまり快適なものではないし、外が暑いといったん部屋に入ってくつろぎたいのは人情だと思うのだが、「部屋をクリーニングしておりますので、午後4時でないとご用意できません」と必ず言われるのである(もちろん荷物は預ってくれる。ちなみに、4時に行って「あと1時間」と言われたことも1度だけだがある)。 それが、「それまでカシノで散財しておいで」ということなのか、前日泊のお客さんがなぜか(笑)揃ってレイト・チェックアウトなのか、あるいはその両方なのかは知らない。とにかく、ここのホテルにはゆっくりくつろげるロビーがないので、カシノかコーヒーショップか、あるいは私はよく知らないが何らかの方法で部屋でくつ...

奥多摩・天祖山

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少し前に三ノ木戸山にクマが出て登山者が負傷という記事を書いたばかりだが、今週は都民の森・三頭山である。こう立て続けでは、奥多摩はもう無理なのかと思う。 現在の状況は、少し前まで箱罠でせっかく捕まえたクマを山奥に逃がすなどしていた結果なので、一朝一夕では解決しない。少なくとも20~30年。未来永劫、廃道やバリルートには立ち入るなということになるかもしれない。 20年経てば90歳、30年経てば100である。私の奥多摩山行も、今生においては打ち止めということになりそうだ。こうして、取り組んでいたことが次々手じまいに至ると、いよいよ人生も終盤を迎えたと再認識する。 以下は2012年10月、天祖山に登った時の記事。天祖山は、青梅警察署山岳救助隊の金(こん)副隊長の本を読んで登った。奥多摩でもっとも印象深い山のひとつである。すぐ横のタワ尾根や小川谷にクマが出ているので、いまや単独登山は難しい。 ------------------------------------------- 柵の外からみるとまだまだ頑丈に見える神社も、近くで見るとかなり傷みが目立つ。突風とか何かのはずみで本殿の扉が開いてしまうと、あとは大日大神への道をまっしぐらであろう。 「天祖」「大日大神」「国光」といったネーミングから推測すると、天学教会の宗旨は宇宙の原理を理解し人としての正しい生き方を目指していくというものであったろうと思われる。そこに教祖のカリスマ性、神がかり的な能力、庶民のアニミズム的な自然崇拝の風土といった要因がプラスされて、この深山にこれだけの宗教施設を建てることができたのであろう。 その意味では、同じ奥多摩の御岳山も、丹沢大山も似た要素で成長してきたと思われる。いまや観光名所でしかない丹沢・塔の岳も、かつては尊仏岩があり信仰を集めていたという。このように日本人のアニミズムは非常に古く根強いものであったのだが、現世利益的な傾向を強める現代の流れの中、いまや朽ち果てようとしているのだろうか。 話は変わってこの天祖山、ガイドブックにほとんど載っていないなど、人気のない山である。 実際にこの土曜日、私以外に登ったのを確認できたのは3人だけ(1人は抜かれ、2人はすれ違った)。不人気の要因は、登頂に時間がかかること、日帰りの場合、往路を引き返す以外にルートがないこと...