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小林製薬紅麹自主回収事件

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にわかに大ニュースとなってしまった小林製薬の紅麹事件。ちょっと調べると首をひねる点が多いが、まず思い出したのは 数年前まで私自身が小林製薬のサプリを愛用していた ことであった。 使っていたのは紅麹由来のサプリではなく(Wikipediaによると、紅麹商権は2016年にグンゼから買い取ったらしい)、ごく普通のビタミン剤であったが、安価なノコギリヤシ単品をやめていろいろ混ぜた高額商品にしたのが原因で、他メーカーのものにした。 小林製薬ぐらいの規模になると(純資産は2000億円を超える)、健康食品で儲ける必要はなく、企業のイメージアップ、消費者戦略としてほどほどにやっていればいいものを、おそらく担当部署が手柄を立てたかったのだろう。 (YouTubeの北條先生によれば、製薬と名が付いているだけで実態は食品加工会社であり、今回の件は薬害ではなく食中毒と言うべきだそうだ。) そもそも紅麹は薬品・食品としてEUでは健康被害が報告 されていて、10年も前に注意喚起文書が出ている。わが国においても、内閣府食品安全委員会がHPに載せていて、にもかかわらず1月に被害が報告されて3月下旬に至るまで何も対応しなかったのである。 EUの報告書で原因とされたのはカビ毒のシトリニンで、小林製薬の調査では検出されなかったという。それでたまたまアレルギーのある患者にぶつかったのだろうと、対策が後手後手に回ってしまったらしい。あれだけ多くの会社に原料として売っていれば分からないでもないが、残念ながら「人の噂も七十五日」ではすまなかった。 この間読んだ微生物の本によると、 人間の1世代は 細菌やウィルス、微生物の75万世代以上にあたり、それだけ世代も重ねるのでどんどん変異して別の生き物になってしまう。現人類が原人から進化したのだって数十万年単位。微生物にすれば10年もあれば十分である。 小林製薬がにわかに自主回収を決めたのも、 シトリニンではないかもしれないが未知のカビ由来毒物であった可能性を否定できないから で、EUで規制されているのにアレルギーで済まそうという見通しが甘すぎる。 そもそも、年間数百億円の利益を上げる小林製薬で、もっと儲けようという根性がいけ好かない。ブルーレットや消臭元でこの先ずっとやれる訳ではないだろうが、健康食品の利益がたとえ0であっても企業の

Google Mapを頼りに弁慶平へ ~宝篋山弁慶平(中編)

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急な登り斜面の木々の向こうから、巨大な岩が舞台のように迫ってくる。 住吉神社ルートの大岩並みに大きい。これが弁慶平だな、と思った。 大岩を巻いて脇道を登る。大岩は下から見た景色が最高に迫力があり、すぐ横で見ると刀で切ったようなまっすぐの切れ目がある。通り過ぎて上から見るとなんの変哲もない岩である。 あれ、これが弁慶平じゃないんだと思ってスマホで確認すると、あと20mほど標高の高い場所にマークがある。確かに斜面は続いており、「平」ではない。息を切らせながらさらに登る。 ようやく平らな場所に出たが、そこには伐った丸太を横にした簡素なベンチがあるだけで、WEBで見たようなベンチではない。WEBで見た「弁けい平」というひらがな交じりの地名標もない。しかし、Google様はここだとおっしゃっている。 帰ってから推測したことだが、 林野庁では国有林の管理を厳正化していて、設置された人工物を撤去しているらしい。 この日はアンテナ塔管理林道への作業道に、黄黒ロープと立入禁止テープ、「進入禁止」貼り紙で立ち入らないようにしていた。 1/25000図ではそれほど開けた場所のようでもないのだが、坊主山直下の松岩と似た地形で、下方に向けて眺めが開けている。木々の隙間から、採石場近くの貯水池が見えた。 ここが弁慶平だとすると、ここから登ってきたと言ったおじさんはどのルートで登ってきたのだろう。いずれにしてもこの近くに車を止める場所はないので、パープルラインの路肩か、麓の東城寺、私と同様小町の館からだった可能性が大である。 さて、弁慶平にはゆっくりする場所はないので、さらに続く斜面を登って行く。 作業道はちゃんと続いていて、アンテナ林道まで標高差100mくらいある。 結構な急斜面で、倒木もかなりある。 ただ、崖とかロープ場とか、切れ落ちた尾根などの危険な場所はなかった。 いくつかの作業道が左右から合流したり分岐したりするが、目的地がアンテナ林道ならば上に登る一択である。何度か上の尾根らしきものは見えるのだが、登ってみるとそこに林道はなく、さらに進む。 弁慶平から20分ちょっと。登り坂の向こう側に何も見えない。アンテナ林道に出た。林道を左に折れ、宝篋山に向かう。 (この項続く) p.s. 「中高年の山歩き」バックナンバーは こちら 。 東城寺

3月11日からカード払いできる

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サラリーマンの時は11月15日を境にクレジットカードの支払いがボーナス後になって、その日以降資金繰りが楽になったものだが、 年金生活者は3月11日からになる。 年金自体は均等割で月によって多い少ないはないのだが、支払いが違う。国保保険料が2月までなのと、暖房に必要な電気・ガス・灯油代が落ち着いてくるので、わずかではあるけれど若干息がつけるのである。 それを愚痴ると奥さんに「だったら働けばいいじゃない」と言われるので、あまりおおっぴらにできない。でも、ストレスを抱えて、他人のカネ儲けに手を貸すことはないと思っている。その分カネに不自由するのは仕方がない。 という訳で、3月11日になった。いまの主力クレジットは年会費無料のイオンカードだから、締め日の10日を過ぎると支払いが5月2日。4月年金支給日の後になる。 ただでさえ資金繰りが厳しい時期なので、後回しにできるものは後回しにせざるを得ない。 エンジンオイルの交換とか、ワインの補充、マラソン大会の写真、プリンターのインクリボンなど、 支払いをここまで待っていたのである。 サラリーマンの11月15日は、その日以降飲みに行けたり、電気製品を買い替えたり、スーツを新調したりした。それと比べるとかなりスケールは見劣るけれども、それでも自分としては大盤振る舞いである。 年金生活に入る前には、銀行のフィナンシャルアドバイザーに相談に行ったりして、それほど困ることはなさそうだという見通しであった。ところが実際リタイアしてみると、国保保険料や介護保険料の負担は大きいし、電気・ガス代も急増した。諸物価も値上がりして、一転して生活を引き締めざるを得なくなった。 いま、1日のお昼にかけられるのは100~200円で、前日の残り物ですませることもしょっちゅうである。現役時代には、外食して800円とかのランチだったのを考えると、今昔の感がある。でも、あの頃に戻りたいとは思わない。他人のためにストレスを抱えるなんてまっぴらである。 3月11日が過ぎて少しだけ資金繰りが楽になると、後回ししていた支払いをすますことができて、少しだけリッチな気分になれる。 でも、 いつまでも生きていられる訳ではないから、そのうちこんな苦労もなくなるだろう と思っている。 p.s. 年金生活の税金などの記事、バックナンバーは こちら

中高年の山歩き 宝篋山弁慶平(前編)

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冬のいちばん寒い時期は、筑波山の頂上はアイスバーンになる。以前、男体山直下の登山道で見事に転倒し、スネにはいまだに黒く痕が残っている。 標高800mでアイスバーンでも、標高300mなら霜柱くらいである。転ぶことはあるかもしれないが、岩の上で強打するようなことはなさそうだ。ということで、この時期は宝篋山・小町山周辺を歩くことが多い。 昨年のこの時期に歩いた時、たまたま会ったおじさんが弁慶平から登ったと言っていた。 どこのことなのかよく分からなかったが、調べてみると宝篋山アンテナ群の取付道路から山道に入るらしい。 ということで、今回は弁慶平を目指して歩いてみることにした。このあたりは1時間も歩くと林道もしくはサーキット道路(!)に行き当たるので道迷いはあまり心配しなくてもいい。ただし、採石場の崖があるので、むやみに薮を突き進むのは危険である。 2024年1月31日水曜日。この日は3月下旬並みの気温という予報であったが、朝は息が白く曇るほど寒い。それでも、小町の館には霜は下りていないし、もちろんアイスバーンもない。温暖化も悪いことばかりではないと思ってしまう。 家を出たのは5時40分頃だが、7時前には小町の館に着いた。筑波山系であっても、いちばん南の宝篋山近辺と、北の加波山・雨引山ではかなり違う。もちろん高速は使っていない。駐車場に着いたのは3番目だった。 身支度を済ませ、いつもの登山口から山の神にご挨拶して入山。この日はまず東城寺まで行って、国有林内の作業道を進む。 小町山ボランティアの地図に弁慶平は載っていないが、なぜかGoogleに所在地が示されている。 東城寺までいくつかの尾根や谷を越える。ときどき里に下りる道が分かれるのと、そもそも登山道がまったく地図にないので分かりづらいが、迷ったとしても1時間あれば出てこられる山域である。多くは緩いアップダウンのトラバース道である。 この道は、宝篋山方面から下ったことはあるが、小町の館から登るのは初めてである。行先案内を確認しながらゆっくり歩き、1時間ほどで東城寺の大きな本堂が見えてきた。 東城寺は平安時代に天台宗寺院として開基、 鎌倉時代に小田氏の庇護を受け、真言宗に改めて今日に至る。小田氏は、宝篋山をはさんで西にある小田城を本拠とした御家人である。 本堂を越える坂の前に宝篋山方面の

せいうち日記183 今年の冬は結露が少なかった

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冬になると気づまりなのは家じゅうが結露することである。 わが家はセントラルヒーティングでないので、暖房がない夜中は冷える。特に雨戸(シャッター)のない2階は、朝になるとどの窓も結露がびっしりである。 ペアガラスになっているのだが、経年劣化のため結露はほとんど防止できない。古くなったタオルで窓枠、窓ガラスをひととおり拭くのが冬の日課であった。 3年前には最低気温が-7℃という尋常でない寒さになったが、今年は直近の観測点である我孫子の最低気温が-3.5℃、-3℃を下回った日も4日しかない。 おかげさまで、結露も少なかった。 年によっては結露を通り越して凍ってしまい、サッシが開かなくなることがあるのだが、そんな日もなかった。山のように用意した古タオルも、それほど出番がなかったのはかえってうれしいことである。 先週は放射冷却で朝は冷え込む予報だったが、曇ったくらいで結露というほどではなかった。週末には初夏みたいな陽気になり、3日後には春分の日だから、そろそろ結露のシーズンも終了である。 こうして家のこまごまとした用事をするのは、リタイアしてからである。現役時には会社に行って帰ってくるだけで精一杯で、家のことまで気が回らなかった。築後二十年以上になるが、遅ればせながら手入れしてそれほど古びた家にはなっていないと思う。 外壁や内装で傷んでいるのは、新築から半年で襲ってきた雹 (ひょう) による被害と、3.11大震災の影響 である。雹では屋根がやられサッシも粉々に割れて保険のお世話になり、いまでもところどころへこんでいる。何しろ野球ボールくらいの巨大な雹で、その時の車は行平鍋のようになって廃車せざるを得なかったくらいである。 震災ではいろんなものが倒れて、石膏ボードがへこんだりクロスが破れたりした。しばらくして保険屋さんが来たけれども、10年経っているし少々の傷はいいですと特に請求しなかった。雹の時のように、そのままで住めない傷ではないからである。 毎朝の最低気温が比較的高かったため、電気・ガス代も安くすんだ。燃料価格が落ち着いてきたことで単価が低くなり、使用量が減ることで請求額が抑えられたのである。ウクライナ以前に比べると高いものの、地球温暖化は悪いことばかりではないと思ってしまう。 p.s. 「せいうち日記」、バックナンバーは こちら 。もう180回になり

なんとか八五山ルートに合流 筑波山みかん園ルート(完結編)

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261標識で立ち話したおじさんに「ここを下りる時は迷いやすい」と言われていたにもかかわらず、早々に国有林巡視の尾根道から外れてしまったのは迂闊なことであった。 ここを登る時、人面岩から上には迷うようなところはないと思っていたのだが、とんでもなかった。まるでスキー場のゲレンデで、どこを通っても下れるように見えるのだが、踏み跡のように見えるのに実はそうでもないのだ。 261標識から人面岩まで、おそらく15分か20分のはずである。さらに、猿田彦ルートとの分岐のペンキ印も見ていない。 気づいた時にはひとつ北側の尾根だったから、261標識直後から道を外れていた と思われる。 スマホで現在位置を確認して、どうやら尾根が違うようだと思ったけれど、いずれ八五山ルートに向かうつもりだったので、まあ方向は合っているだろうと先に進んだ。ところが、ほとんど誰も通らないものだから、どう進んでも薮なのである。 「筑波山系の山路を辿る」でも、八五山ルートに入る道はいくつもあるのだが、基本的にすべてバリルートであり、ただでさえ分かりづらいのに誰も通らなければすぐに廃道化する。仕方がないけれども難儀なことであった。 八五山ルートの名前のもとになったのは人面岩近くにある「山-85」の標識で、それを確認して下る予定だったのだが、まあ仕方がない。かなり傾斜が急だったので登り返すのも何だし、このまま下ることにした。 一時間ほど下り、休めそうな岩場があったので一息つく。あるいはここが人面岩かと思ったが、ずいぶん下なので違う場所である。おそらく、どのルートでも岩場になる標高550mくらいだったと思われる。 一息ついて落ち着いたのがよかったのか、 すぐにペンキマークの岩とはっきりした踏み跡を見つけることができた。 ここからはすんなり進むことができたから、なんとか八五山ルートに乗ることができたようだ。 このルートは今日登ったみかん園ルートと谷を挟んで対岸にあたり、右の坊主山が朝と同じように見える。石置尾根をそのまま下ると梅林寄りに出てしまうので、途中から八五山ルートに入る計画だったのである。 やがてこの道は水の流れる沢沿いになり、沢を渡って対岸に渡る道も見える。とはいえ、直進した先で道が太くなっているので、渡らずにそのまま進む。 車も通れるほどの道幅だが、路面はガレ場と同様で

腎機能と貧血の検査項目が改善 糖質制限2024年2月(続き)

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先月は、1月の精密検査の結果が返ってきた。例によって大差ない結果を予想していたのだけれど、案に相違していくつかの項目で大きく数字が変動していた。 お医者さんも、「腎機能がよくなってますね。ダイエットの効果かな」と意外そうにしていたけれど、 クレアチニンが直近の1.01から0.85に大きく改善し、その結果eGFRも57.7から69.6に大きくアップ した。 クレアチニンは最高で1.17まで上がり、eGFRは50.1まで下がっていた。クレアチニンは筋肉が運動した後にできる産出物で、本来腎臓で濾過されて血液中にそれほど残らないものである。それが残っているのは腎臓が十分働いていないということで、1を超えるとあまりよくない。 eGFRはクレアチニン値を性別・年齢で補正したもので、正常範囲は60以上である。私の場合、年齢に比べて筋肉量が多いので(体内年齢は51歳である)、eGFRはそれほど気にしなくてもよさそうだし、クレアチニンの上昇は糖質制限でタンパク質を多く摂取していることもあると思っていた。 ところが今回の結果をみると、 クレアチニンは0.85である。クレアチニンは昔は人間ドックの検査項目に入っておらず、入ってからもしばらくは小数点以下1ケタだった。だから昔の0.9は0.85から0.94の可能性があるのだが、ともかく0.8台というのはこれまであまりなかった数字である。 唯一の例外は二年前に帯状疱疹を発症した時で、この時の検査で0.82という数値が出ていた。帯状疱疹完治後には0.93に戻って今日に至るのだが、クレアチニンそのものは筋肉を使った結果発生するので、それが低くなっているのが何を意味するのかよく分からない。 前回検査以降に変わったことといえば、ランニングの距離を伸ばしたことである。運動療法は腎機能改善の方法として推奨されているので、その効果があったのだろうか。いずれにしても、クレアチニン値及びeGFRが改善したのは喜ばしいけれども、帯状疱疹の時と似た検査結果なので、用心しつつ半年後の検査を待つこととしたい。 他にも、ここ数年程度が進んでいた貧血傾向、 ヘモグロビンやヘマトクリットといった項目も、10年前くらいのレベルに戻っている。 さすがに40代の頃に比べると落ちているけれども、一時は基準値ぎりぎりまで悪化していたので、めざましい改善である。 2、3年前から鉄の

国有林標識261番で立ち話 筑波山みかん園ルート(後編)

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東屋で休んでいると2、3人の登山者が「こんにちわー」と通り過ぎて行ったが、いつかの土曜日のように多くはない。下山は石置尾根(国有林管理道)から下りる予定で、「進入禁止」看板から入るのでできれば人に見られたくない。 幸い、富士見岩には誰もおらず、進入禁止を見咎められることはなかった。大きな岩を回り込んで下ると自然研究路からは見えない。この道は梅林ルート(猿田彦神社ルート)、石置尾根共通の研究路側出入口となる。 ただ、最初に登った時と2度目に登った時と、同じ経路のはずなのに違ったように見えた。左右を見て、分岐がないかどうか確認しながら慎重に下る。 ひとしきり下りると、つくしこ方向に景色が開けた場所がある。 「筑波山系の山路」に(展)とある場所のようだ。まさに好展望地 であるが、惜しむらくは1人立ち止まるとそれ以上は滞留できない場所である。 好展望地のすぐ下にちょっとしたピークがあり、先端の岩に赤く塗った+印が描いてあった。国有林標石である。ここから先は国有林管理道なので、標識を確認して下れば間違いがないはずだ。 標石のあるピークから15分ほど下ったり登ったりすると、見覚えのある景色が出てきた。標高およそ720m、梅林ルートから登った時見た「地図にない三角点」である。 よく見ると すぐ近くの木に林野庁の境界見出標が付けてあり、261番と番号が振ってある。 林野庁の国有林データベースでみると、「前峯」とある場所のようだが、林野庁の資料に261と書いてないので確かとはいえない。 先ほどの好展望地より広いので、レジャーシートでも敷けばお昼休憩にも使えそうだ。しばらく立ち止まっていると、下から熊鈴の音が聞こえてきた。珍しい。筑波山バリルートで人に会うのは初めてである(御海で声だけ聞いたことがあるが)。 登ってきたのは、私同様シニア単独行のおじさんであった。梅林近くの200円駐車場に止めて登って来たそうだ。冬とは思えないほど風もなくいい天気ですね、と立ち話する。 これから下るのだと私が言うと、 「ここを何度も登るのですが、同じ道で下れたことがない。 いつも別の道になってしまう。まあ、いずれ林道に突き当たるから問題ないのだが」とおっしゃる。 確かに、猿田彦ルートにはまぎらわしい分岐がいくつもあって、石置尾根をそのまま下ったり、行き過ぎて住吉神

厚労省発表の飲酒ガイドライン 糖質制限2024年2月

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これまでFC2で掲載していた糖質制限関連の記事ですが、FC2がクレジット会社から手続きを断られたらしく、いろいろ不具合が生じています。 しばらく、無料かつ広告フリーのBloggerで掲載します。ご不便をおかけしますが、ブックマークの変更等をお願いいたします。  ----------------------------------------------- 2024年2月もゆるゆるの糖質制限を続行。 最高体重は87.6kg、最低体重は84.9kg であった。最高体重・最低体重ともほとんど変わらなかったが、若干体重が増えてしまった。 2月は結婚記念日があってその前後に飲みかつ食べてしまったのと、ハーフマラソン挑戦で炭水化物を多めに摂ったことによるかもしれない。いずれにしても、体重のわずかな増減を気にしないよう心がけているし、いずれもコンマ以下の増加だから、まあいいとしよう。 さて、今回の話題はアルコール摂取量について。先月、厚生労働省から「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」が発表された。このガイドラインは不適切な飲酒を減らすことを目的としていて、わが国において公的機関がこうした指標を公表するのは初めてのことだそうだ。 その内容をみてちょっと驚いたのだが、脳卒中、大腸がんなどの項目で発症リスクが高まるとされるアルコール摂取量は1日平均20gなのである。 この数字はなんと、 私が昨年来気にしている1日平均20g以下とまったく同じである。 アルコール摂取量に換算するという考え方も同じである。 まさに、時代が私に追いついてきている。私の場合は、体調が悪くならない目安として経験的に出てきた数字だが、厚労省の数字は研究成果に基づき、きちんと統計的に処理されて出てきたものである。 ガイドラインによると、脳卒中(出血性)等で1日20g、脳卒中(脳梗塞)等で1日40g、肝がんで1日60gだそうである。どの項目も1日平均20g以内に納めれば、発症リスクは高まらないということになる。(男性の場合。高血圧などアルコールを少しでも摂取すればリスクが高まるものもあるが、これはまあ無理) かつては酒は百薬の長とされ、適量のアルコールはむしろ健康にいいとされていたが、厚労省はこれを完全に否定した訳である。そして、チャンポンはいかんとか、週1日休肝日とかでは不十分で、きちんとアルコール摂取量を

ネット終活について

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さて、一部の記事をFC2からBloggerに移行して2週間になる。なぜこうするに至ったのか、読んでいただく皆様に理由を説明しておくものだろうと思うし、自分の頭の整理にもなるので、1回で済むかどうか分からないが書いておきたい。 きっかけとなったのは、 ブログの閲覧数がきわめて少なくなった ことであった。約20年前ブログを始めて以来アクセス数を記録しているが、最近では開設当初よりも少ないくらいである。その頃botはないので、ほぼすべて人間が見ていたのにbotが巡回している現在より多かった。   何度かブログサーバーを替えているのでそのせいもあると思ってあまり神経質にならなかったが、ある日FC2の管理画面を調べていて驚いた。検索エンジンからの閲覧が何ヶ月も皆無なのである。   検索エンジンごとに調べるという機能があるくらいだし、以前はGoogleで検索して入ってきたアクセスもあったと記憶しているのに、ひとつもないというのは偶然ではない。どうやらFC2、特にブログについては、GoogleやYahoo、Bingなど検索エンジンに載ってこないようなのである。   これにちょっとびっくりして、他のブログや個人ドメインを調べたところ、FC2ほど極端ではないものの、Googleのインデックスに載ってこない結果、検索してもまったくヒットしないことが分かった。おそろしいことである。   私がブログやホームページを始めたきっかけは、当時海外カシノに関する情報がほとんどない中で、個人作成のページにかなり助けてもらったからである。同様に私も情報発信して、微力ながら誰かの参考になればと思ったのである。   興味の対象は、カシノからNFL、山歩き、アーリーリタイア、年金生活、将棋、糖質制限、ランニングと転々と変わってきたけれども、考えることは一緒である。もちろん、過去の自分・将来の自分を想定読者とするけれど、どこかで誰かの助けになればと思っている。(そうでなければいちいち文章にして推敲しない) しかし、 Googleのインディクスに載らないということは、WEBの世界においては宛先のない郵便物と同じ である。一定期間が過ぎれば、ゴミとして廃棄される。できることがあるとすれば、ここに埋めてありますよと立札をたてておくくらいである。 Googleインデックスに載せる方法というのもWEBには書いてあるけれ