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カネ儲けしたい奴には近づかない

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最近の趣味は山歩きとランニングだが、先週ランニングの集まりで、たいへん不愉快な思いをした。 興味ある方は 別ブログ をご覧いただくとして、改めて感じたのは、ポーカーやカシノの集まりでは、こんなことはなかったなぁということである。 ポーカーの集まりでは上野をはじめ大阪や名古屋、岡山、沖縄、カシノではマカオやラスベガス、テニアンでたくさんの方々にお世話になった。もちろん勝った負けたがあるのでいつも上機嫌ではいられないにせよ、ほとんどの場合は来てよかったと思うことができた。 ごちそうになったことも再三あったし、会場やいろんな手配、現地での折衝など、会費では到底追いつかないくらいのご負担をおかけしたし、見返りを求められることなどなかった。七十年近い人生で、あの時だけかもしれない。 YouTubeでひろゆき氏が、 お金持ちは自分が負担することを苦にしない。 細かいことを言うよりカネを出せば解決するならそうすると言っていたけれど、そういうことである。お金持ちにはいい奴が多いのだ。 先だって読んだある本に、貧乏人が長生きするのにもっとも効果がある方法は、お金持ちの多く住む場所に引っ越すことだと書いてあった。 ビッグデータ で証明されているそうだ。おそらくこれも同じことである。 逆に、これまでの人生で 嫌な思いをした時を思い出すと、ほとんどすべて、他人の足を引っ張りたい奴、カネ儲けしたい奴が関わって いる。これは実は同じことで、他人が持っているモノを手に入れたいということなのだ。 そういう連中は、お金持ちとは逆の考え方をする。自分が負担するのは絶対に嫌でカネは他人に押し付ける、もしくはいいとこ取りをするのは当然という考え方をする。無防備に近づけば、餌食になるだけである。 (貧乏なコミュニティは平和で助け合って生きているというのも都市伝説で、実際は盗難が日常茶飯事でいろんな犯罪の巣窟となっているという。) だから、できるだけ付き合いは広げない、他人と関わり合いにならないことがすぐれた自衛手段なのだけれど、人間が甘いのか時々こうやって危険地帯に近づいて嫌な思いをしてしまう。 人生の中で、本当のお金持ちとお近づきになる機会はほとんどない。いい奴というのは高学歴にもいなければいい会社にもおらず(もちろん身長にも関係なく)、多くの人は他人を出し抜い

雪の急傾斜を下る。そして車両通行不能の道へ 足尾山・一本杉峠(後編)

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本殿の左奥から、かなり斜めった石段を登る。少なくとも昭和はじめだから百年近く前、もしかして明治に作られたとすると百五十年前ということになる。昔のものにありがちだが、段が小さくて急である。四、五世代前は足が小さかったのだ。 3ヶ所ほどの踊り場を越えると、広くなった足尾山頂である。石組みを整えたのは近年で、ちょうど正方形に石材が積み上げられている。意外にも声がする。まだ10時半、どちらのルートから来たのだろうか。 奥宮まで上がってまず拝礼。 晴れわたり風もなく、周囲は四方向とも眺めが開けている。 麓でも見えていた日光連山がくっきり見える。左手に彼方の山々が連なっている。 「八ヶ岳、あれは北アルプスかな。いい景色ですね」先客は女性で、私よりずいぶん若い。岩瀬から登って筑波山まで縦走するんだそうだ。岩瀬からだとこの時間には、早いパーティーでも燕山の東屋だから、ずいぶんハイペースである。 「こんなに雪だとは思わなかったので、チェーンアイゼン持って来ませんでした。加波山あたりはたいへんだったです」足尾山は627mだが、加波山は708m、燕山は702mとさらに標高が高い。傾斜も急なので、積もればさらに滑りやすいだろう。 先客がここでお昼休憩にする気配だったので、早めに休憩を切り上げる。この日は一本杉峠まで通ったことがある道だが、その先は初見である。 足尾山からの下りは北側斜面で急傾斜、いきなり積雪である。 私もチェーンアイゼンは持ってきていない。いないどころか、暑くなる方を心配していたのである。滑り落ちないよう慎重にステップを切る。なんとか林道まで下りた。 林道の先に東屋があって、記憶ではその横の登山道を下ると近道なのだが、雪道は危ないしかえって時間がかかる。轍の跡だけでも雪のない林道を進む方が安全である。緩いカーブを下る。 方向転換すると、木々の向こうに丸山の風力発電施設と加波山が見えてきた。プロペラは一つだけゆっくり回り、もうひとつはまったく動いていなかった。そのくらい風のない日だった。 坂を下り切ると一本杉峠。石組みの上にベンチが見えるが、そこまでは登らない。きちんとした舗装道路はここまで来た足尾山からの道とこの先丸山へ向かう道で、交差している八郷方面への道と真壁町白井への道は砂利道で心細い。 心細いどころか、「この先車両通行不能」「

モントゴメリー&ピクレー「土と内臓」

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原題「Hidden Half of Nature」、自然の隠れた半分である。自然というと、動物や植物といった目立つものばかり見てしまうが、 それらよりはるかに広大な微生物の世界があるという趣旨である。 「土と内臓」は、その世界を意味する超訳である。 共著者のモントゴメリー&ビクレーは夫婦で、夫が生物科学者、妻が土壌研究者である。それぞれの専門知識だけに偏ることなく、たいへん読みやすく構成されている。 シアトル近郊で住居を購入した夫婦が庭造りするところから始まる。前の住人が園芸に興味がなく、一面の痩せた土だったところに落ち葉や木材チップ、コーヒーかす、たい肥を入れることにより短期間で豊かな土壌にする。なぜこんなに短期間でできたのか。 それは、目に見えるところではミミズなどの小動物だったり、それをエサにする虫や鳥だったりするのだが、それだけではない。バクテリアをはじめとする微生物の力が大きかったのである。 庭の話から、一転して生物の話となる。かつての生物学は動物・植物を中心とした系統樹的な考え方が主で、単細胞の生物がどのように高等動物に進化したかという観点でとらえられていた。 ところが、DNA解析が進み、生物の違いを遺伝子の差によって分類すると、 動物や植物を含めたグループは生物の一部にすぎず、細菌や微生物といったグループがそれ以上のスケール であることが判明したのである。 われわれが地球外生物というと、イメージするのは火星人とかE.T.になるけれども、実際にいるとすれば昆虫であり植物であり、もしかすると微生物や細菌は見えないだけで太陽系内にいないとも限らないのである。 ここ百年ほどで、感染症に対する対策が飛躍的に進み、アスピリンやストレプトマイシン、抗生物質により多くの感染症が激減した。これらの開発にも土壌菌が寄与しているのだが、いいことばかりではない。細菌・ウイルスも進化して耐性を身に付けるからである。 こうした特効薬はいざという時のすぐれた対策ではあるものの、健康を維持するためにはそれらとは別に普段の生活を変えていかなければならない。 われわれの大腸は園芸における土と同様、数限りない細菌・微生物の住処なのである。 腸内微生物のはたらきによって、われわれの体調・気分を左右するホルモンが出されることが分かってきた。つまり、われわれの

サプリメント依存症?依存症と言えばいいってものでは…

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YouTubeの北條先生の動画は、更新頻度が多いのと参考となる内容が多いのでよく見るのだが、今回の「サプリメント依存症」はいまひとつ。内容が乏しい上に説明不足で、結果的に言いっぱなしの話であった。 「サプリメントを3種類以上飲んでいる人を、私は依存症と定義します」はいいのだが、知りたいのはサプリ依存症になるとどういう実害があるかなのだ。 ビタミンBとCとミネラルのサプリを飲むと、どういう実害があるのか。 依存症に警鐘を鳴らすのはいいけれど、実害がないものに口出しするのは大きなお世話である。先生の大好きな「科学的な実証・根拠」でいえば、神頼みに科学的裏付けはない。しかし、毎朝神棚を拝んでいる人にどうこう言うのは科学ではない。医者だからといって声高に主張するのは勝手だが、それでどうするかは個人の自由である。 酒・タバコ・違法薬物、スマホ、テレビゲーム、ギャンブル等々で依存症が問題となるのは、 第一に人体に有害であること、そして経済的に負担が大きいことである。 それらは社会的に悪影響を及ぼす。 依存症に陥った人間が時間をそればかりに使うことにより生産性が落ちることも問題ではあるが、それは社会的な問題とはいえない。活字中毒になる人の稼ぎが少なくても、それは個人の自由である。 北條先生としては、小林製薬の紅麹が問題になっているので便乗したのであろうが、先生の動画によればあれはそもそも食中毒なのだから、依存症に関連付けるのは無理筋である。食中毒を避けるため食べるのをやめましょうでは、食中毒になる前に飢え死にである。 動画をみる限り、サプリメントに頼ること自体を問題としているようだが、もともと食品なのだから、薬効(薬理効果)もないかわりに実害もない。摂りすぎを問題とするのなら、水だろうがコメだろうが中毒になる。 依存症を問題とするならサプリメントより処方薬の方がずっと実害がある。 すべての医薬品には薬効が証明されているが、同時に副作用も証明されている。連続して服用すれば当然副作用のリスクは大きくなる。処方された薬は必ず飲みましょうというのは、薬局の陰謀だと思っている。(少なくともケースバイケースである) サプリメントに話を戻すと、もともとサプリは食品なのだから、サプリを摂りすぎるのと野菜を食べ過ぎるのに本質的な違いはない。腹八分目・偏食は控えましょ

足尾神社で足腰の健康をお願い 足尾山・一本杉峠(中編)

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足尾山は4年ぶりだが、きのこ山は3年前に登っている。その時はきのこ山から上曽峠、湯袋峠経由筑波高原キャンプ場まで歩いた。 下りてきた時と登った時の1年の間にふれあいの道関連の標識は格段に整備され、迷うところはなくなっていた。今回も、3年前よりさらに標識が増えていた。 道に迷うところはまったくないのだが、なぜかなかなか着かない。そろそろと思っていたら、まだつぼろ台の分岐だった。実は記憶違いで、きのこ山まで1時間半で登ったと思っていたが、帰ってから調べるとつぼろ台まで1時間半だったのだ。 きのこ山まで、真壁から休憩なしで9時10分到着。所要時間は1時間40分 である。マラソンばかりで山登りしてなかったからかなあ、ちゃんと鍛えないといけないと思ったのだけれど、実は前回より若干早かったのである。 なかなか着かないのと合わせて気になったのは、斜面に雪が残っていることであった。前の週に千葉ニュータウンでも積雪があったけれど、その日のうちに融けてしまった。 だから、暑くなる心配はしていたけれど、雪道の心配はしていなかった。チェーンアイゼンも持ってきていない。というよりも、この時点でも登山道に雪が積もっていたらどうしようとは思っていなかったのである。 朝ご飯は4時台だったので、早めのお昼休憩にする。 用意したのはコモパンのチョコレートとカロリーメイト、テルモスのお湯でインスタントコーヒーを淹れる。かなり寒かったのでコーヒーがあたたかくておいしかった。 東屋で休んでいると、筑波方面から歩いてきた単独行の人が、写真を撮ってすぐに足尾山方面に向かっていった。バックパックが私のマラソン用と同じ大きさなので、おそらく水と非常食くらいしか入れていないのだろう。 筑波山に朝登ってここまで来て、加波山・燕山・雨引山を経て岩瀬まで縦走するのかもしれない。だとしたら、ここで休んでいる訳にもいかないだろう。結構なロングコースだが、ここを歩いているとよくそういう人達と会う(この後も会うのだった)。 きのこ山から足尾山までは林道歩き。だから気軽に考えていたのだが、 なんと車の轍の二本線以外は雪が道を覆っていた。 歩く場所が限られることに加え、この日の好天でパラグライダーの送迎車が行き来するので、そのたびに道端で待機しなくてはならない。 鈴木さんの本にNASAとあるので

糖質制限2024年3月(続き) 紅麹騒ぎとアルコール摂取量

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先月のアルコール摂取量は1日平均18g、 2024年に入って20g以下のレベルを維持している。 厚生労働省がアルコール摂取は健康維持に問題があると言った途端、9%のチューハイが安売りスーパーから姿を消した。2、3ヶ月前まで、低アルコールの安売りはごくわずかしかなかったのに、いまや9%がその運命にある。 普通に考えると、おカネをかけずに酔いたければ2㍑の焼酎とかウイスキーを買えばいいのであって、100円チューハイを5%から9%にしたところであまり意味がない。世の多くの人達は宣伝に左右されるということだろう。 だったら厚労省が何を言おうと旨い酒を呑むでよさそうなものだが、そういうものでもないらしい。昔の酒飲みは家計より酒だったが、いまそんなことを言っていたら家から放り出される。 私の場合、厚労省が通達を出す数ヶ月前からアルコール含有量に気をつけていた。体調にてきめんに響くようになったからである。安売り店に5%のチューハイがあまり置いてないし、9%より高いのはどうしたことかと思っていた。まあ、それだけ安い原料だということだが。 一方で、内閣府が以前から問題提起しているのにほとんど注目されなかったのが紅麹である。YouTubeの北條先生が力説するように 製薬と名前が付いているけれどもあれは食品加工会社で、食中毒事件 であると指摘している。 いずれにしても、EUでは何年も前から問題視されていて規制、日本では政府機関がHPで注意喚起しているにもかかわらず死者が出るまで放置である。これは何なんだろうと思う。 p.s. 糖質制限シリーズ、バックナンバーは こちら 。 p.s.その2 糖質制限事始め、GO DOWN CLASSICに載せてます。 こちら 。 厚労省が指針を出してすぐ、マーケットから9%チューハイが姿を消しつつある。そのうち2㍑の焼酎やウイスキーもそうなるかもしれない。

働かなくたっていいんじゃないか

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さいきん思うようになったのは、 一生懸命働く必要なんかないんじゃないか ということである。 働かざる者食うべからずと教えられて育ってきたし、禅やプラグマティズムの影響で働くことは当然とされている。私だって、食べるものを作ったり生活するために必要なものを自分で調達することは当然と思っている。 ところが、最近働くといえば生活とは関係ないカネ儲けばっかりである。だからルフィーみたいな連中が出てくるし、メールを開ければスパムばっかり、固定電話に入ってくるのはワン切りの勧誘電話ばっかりである。最近では、家のチャイムを鳴らして「屋根が壊れてるんですけど」と言い出す奴までいる。 「そういう人達だって一生懸命働いてるんだから」と奥さんはかなり寛容なのだけれど、だから振り込め詐欺がなくならないのだと言っても通じない。ルフィーは極悪非道だが、下請けで電話をかけたり集金に行くのはパートやセールスマンと同じ仕事である。 カネをもらって誰かにやれと言われたらするのが仕事ではないだろう。 困ったもんだと思う。 若い頃は、飽食の時代がそんなに長く続くことはありえない。いずれ食糧危機が来て、みんな不自由になるのだと考える人もいたが、そろそろ寿命がくるかもしれないのにそういう気配はない。ありがたいことではあるが、人間のレベルは落ちる一方である。 近未来にそういう事態が想定されると、世間には最終戦争とか世紀末という言葉があふれる。それでオウムが急拡大したのだが、そろそろ21世紀の4分の1が過ぎるのに時代は恐怖の大王が来る前と同じである。違うのは世紀末とは言えない点だが、そんなのキリスト教でそう決めただけである。 男女平等とかプライバシーとか言われ始めたのは、そういう事態が想定されなくなってからである。食べるものに不自由せず社会資本も十分ある中で、村落共同体的な消費生活では景気拡大が望めないからそうなった。どういう生活が望ましいかではなく、どうすると儲かるかで決められたのだ。 個人消費を拡大するためには、各自がカネを稼いで自分の好きなように使う必要がある。でも、本来は個人個人が消費しなくても、家族や共同体で共有できるものも相当あるはずなのだ。男女平等もプライバシーも一長一短あって、みんながみんなそれを求めている訳ではないし、幸せになれるものでもない。 仮に働くことが美徳で

中高年の山歩き 足尾山・一本杉峠(前編)

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これまでFC2で掲載していた「中高年の山歩き」ですが、FC2がクレジット会社から手続きを断られたらしく、いろいろ不具合が生じています。 しばらく、無料かつ広告フリーのBloggerで掲載します。ご不便をおかけしますが、ブックマークの変更等をお願いいたします。  ----------------------------------------------- この冬は、もっぱら筑波山バリエーションルートと宝篋山周辺を歩いたが、至る所に「入山禁止」「進入禁止」の貼り紙であった。もともと登山道であった道をなぜ独占しようとするのか疑問だが、来るなと言われると別に行かなくてもいいよと思う性分である。 前に足尾山へ行ったのは4年前になる。 あっという間に、月日は過ぎてしまうものである。頂上から望む壮大な光景は、いまだ記憶に新しい。おそらく筑波山系の中でも、随一ではないかと思われる。 だから次は足尾山と計画してはいたものの、2024年2月はスケジュールがなかなか合わなかった。申し込んでいたマラソン大会があり、急に天候が崩れ、とうとう3月になってしまった。 3月になると三寒四温で天気が安定しない。晴れても西高東低で強風間違いなしだったりする。3月11日の月曜日は震災何年目かになるが、ようやく風も収まりそうなので、あわただしく用意して歩くことにした。 2月は山には行けなかったが、お願いしていた 鈴木敏信さんの自費出版「筑波山系の山路を辿る」の増版ができた と連絡があり、こんこんギャラリーに取りにうかがった。値段は2200円。どう考えても、この値段は原価の半分以下であろう。 デジカメで何ページか撮って参考としてはいたものの、原本があるとなおさらありがたい。筑波山系なのでもちろん足尾山や加波山も調べてある。何しろ鈴木さんは、筑波山系に800回足を運んでいるのである。 この朝は車を出そうとすると-5℃、フロントガラスが凍ってしばらく発車できないほどだった。りんりんロード真壁休憩所の予定だったからよかったが、男の川登山口とかならアイスバーンだったかもしれない。 ひたち野うしくから学園東通りを走ったら比較的スムーズで、いつもより若干早く学園都市に入った。7時過ぎに真壁休憩所着。サイクリストのおひとりに続く2台目の到着だった。身支度をして7時25分出発。快晴無風、絶

せいうち日記184 お釈迦様と同じ誕生日

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4月8日は67歳の誕生日である。 この歳になって誕生日がめでたい訳ではないが、今年は諸物価高騰と資金繰り難のため誕生日間際までいろいろ工面しなければならず、めでたいどころではなかった。 やむなく電気・ガス代を未払いのままにしていて、15日の年金支給日まで安心できない日が続く。なかなか誕生日気分になれないのも無理はない。 小さい頃はお釈迦様と同じ日と言われたものだが、中学・高校と進むにつれてそれほど珍しくもないことが分かり、大人になるとそんなに偉くなれないことも分かった。 ただ、お釈迦様は出家して悟りを開いた方なので、アーリーリタイアしてストレスの少ない生活を送っている点では共通点があるかもしれない。おそれ多いことだが。 日本にはお寺は多いけれど、ご本尊として釈迦如来や釈迦三尊を祀っている寺は少ない。というのは、いま仏教といわれているのはもともとお釈迦様の教えである原始仏教ではなく、大乗仏教でもなく、 日本の風土に合わせたローカルな仏教 になっているからである。 ローカルな中でも、聖徳太子とか鑑真の頃はまだお釈迦様の教えに近いものの、鎌倉仏教になるとまったく違うものになる。いま日本のお寺の大半で阿弥陀如来や薬師如来、大日如来、観音菩薩がご本尊なのは、鎌倉仏教だからである。釈迦如来本尊は古いお寺だけである。 さらに明治以降となると、仏教系と名乗っているだけでもはや宗教とはいえない。病気を治す、災厄を払うというのは昔からなのでまだ分かるが、信者同士で商売したり、上納金を納めさせるなどマルチ商法というと怒られるが。 半世紀前にはまだ農村社会の名残りが残っていて、ほとんどの家はどこかの寺の檀家だったから日本人の多くは仏教徒といえたかもしれないが、現代はそういうこともない。仏壇を置くのも先祖崇拝であって、仏教ではない。 いま、こうしてアーリーリタイアして入ってくるおカネで生活しているのは、 仏教系新宗教よりお釈迦様に近い生活かも しれない。少なくとも、現世利益だけに執着してはいない。 お釈迦様の修行と共通点があるとすれば、何年か続けている糖質制限とランニングである。糖質制限ではお米やラーメンだけでも控えるようにしていて、それが健康維持にかなり役立っている。 ランニングも一昨年、三十年ぶりくらいに復活したのだけれど、この歳で気づくことも多い

スケジュールが埋まらなくたって構わない

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サラリーマン生活を長くやっていたからか、手が空くのは嫌である。空いている時間でひとつでも仕事を片付け、できるだけフリーハンドを残しておかないと不安になった。リタイアしてもその傾向は残っている。 みんなそんなものかと思っていたら、 同じ組織で働いている7割方はそんなことひとつも考えてなかった。 やらなければならない仕事という概念すらあったかどうか疑わしい。そういう人間に限って昇進や配属に恵まれている。 後から考えると、自分なりに規律をもって仕事をするのは自分自身のストレスを軽くするためであって、いい加減な仕事がストレスにならない人間に規律なんて必要ない。仲良くみんなで怠けるのが楽しい組織に未来があるかどうか分からないが。 さて、リタイアすると悠々自適で毎日暇かというとそんなことはなくて、何やかや毎日やることがある。ただし、それらは自分で決めてルーティーンにしていることだから、忙しいからストレスになることはない。 リタイア前は、前もってやることを決めておいたり時間表を作っておかないと、 やることがなくて暇で仕方がなくなるという記事がWEBに載っていた。 それが昼間から酒を飲んだりボケる原因になるんだそうだ。 もうリタイアして8年目になるけれど、正直そんなことは感じない。もしリタイアしてやることがなくて困る人がいるとすれば、そういう人間は職場でも指示されなければ何もしなかったに違いない。 リタイア後を振り返っても、次から次にやりたいこと、関心あるできごとが現われる。糖質制限やランニングで体調管理に時間を使うとは、リタイア前には思わなかった。 将棋を見るのも羽生の出始め以来だから三十年ぶりだし、競馬も二十年ぶりである(馬券はほとんど買わないが)。かつて走っていた馬は、現役の四代前や五代前になっているし、海外レースで勝負になるとは思わなかった。 たまにやることがなくてぼーっとすることはあるけれど、きっとたまには休みなさいと体が言っているのだ。そういう時は早く寝る。10時間くらい眠れるから不思議である。 8年大丈夫だから、あと10年や20年困ることになるとは思えない。きっと、いま思いつかないようなことをして過ごしているだろう。やることがなくなる時は、そろそろお迎えの来る時なのだ。 結論:やることがなくなると心配することはない。 職場で普通

入山禁止作業に出くわし、気分が暗くなった ~宝篋山弁慶平(後編)

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アンテナ管理林道に出て宝篋山に向かうつもりだったが、気が変わった。いい天気なのできっと登山者が大勢いるし、舗装道路を歩くのも気が進まない。弁慶平でゼリー飲料を補給したので、それほどお腹も減っていない。 それよりも、林道分岐を右に折れて、 まだ行ったことのない438の独標点、アンテナ塔のあるピークに 行ってみよう。気がついた時に行かないと、ずっと行かない。 ベンチ風に切り株が並んでいる分岐点を折れて、戻るように坂を登って行く。アンテナ塔まではすぐだった。フェンスで囲ってあり「関係者以外立入禁止」と書いてある。休む場所はなかった。 独標点はアンテナ左の薮の中だろうか。心なしか高くなっているようだ。とはいえ、フェンスと薮でその方向には進めない。独標点にはたいてい目印はなく、探すべきものはない。 アンテナ塔を撮影して、今日の最高地点はこれにて終了とする。来た道を引き返して分岐に戻る。小町山までは下り。30分ほどで着くはずだ。 ここで、見慣れない景色に出くわした。林道に自動車が止まっている。ここはアンテナ管理道で、入口には車両通行止の柵がある。近づいてみると「林野庁茨城森林管理署」と書いてある。 周囲を見回すと、林道から分岐する国有林管理道の出口に、黄黒のトラロープと「立入禁止 立入禁止」と印刷してある幅広テープ、立入禁止の注意書きを揃えて、 係員がひとり、登山道封鎖の作業中であった。 林道を歩いている私と目が合ったが、特に何も言わず、私も話しかけずに通り過ぎた。林道の南側は国有林で、もともと作業道だったものが登山道として使われ今日に至っている。私がこの日登った弁慶平も国有林の中にある。 何ヶ所かある林道への出口で、ご丁寧に同じような封鎖をしている。最近管理が厳しくなったのかなと思ってパープルラインへの出口を見ると、目立つ印刷の注意書きが新たに貼られていた。 「進入禁止 ここは宝篋山への登山道ではありません。許可を受けずに通行することはできません」 ( 2月2日のブログ に写真あり) なんと、筑波山と同様、宝篋山も世知辛く入山禁止の道路が出てきた訳である。あっという間に気分が暗くなった。ここはアンテナができる前から登山道のはずで(でなければ独標点はない)、道路を作った者以外は使えないというのは道の趣旨に反する。 パープルラインは制限

糖質制限2024年3月 久方ぶりの減り期

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2024年3月の最高体重は85.8kg、最低体重は83.5kg であった。2月と比べて、最高は1.8kg、最低は1.4kg絞れている。生活はそれほど変わっていないから、言うところの「減り期」なのだろう。 ダイエットをしていると、まったく同じように生活しているにもかかわらずちっとも体重が変わらない時期があるし(というよりも、ほとんどそういう時期である)、がくんと体重が落ちる時期もある。 過去記事をみると昨年6月と12月に減り期があって、12月には2年3ヶ月ぶりに最低体重が84kg台に落ちた。それ以降、年末には増えたのだけれど、ここへ来て毎日の節制が実ってきたようで、83kg台達成である。 83kg台はもちろんうれしいけれど、 それ以上に成果を感じるのは最高体重でも85kg台ということである。 昨年夏くらいまで最低体重が86kg台だったのに、今は最高体重が85kg台である。奥さんには「体が薄くなった」と言われる。 手足や顔には皺が目立つけれども、腹回りを見ると痩せたというよりも絞れたという印象で、筋肉は落ちていないようだ。この体重になったのは20代前半以来だから、40年間あったはずの皮下脂肪、ぜい肉がなくなったということで、不思議な気がする。(あとしばらくで骨だけになるが) 最近読んだ本「土と内臓」によると、人間が自分の意志や努力でしていると思っていることのかなりの部分は、腸の中で微生物が行っているという説がある。微生物の構成が変わると、ホルモンの分泌も変わるし脳への信号伝達も違うらしい。 脳内物質として知られるセロトニンの大半は脳ではなく腸で分泌されていて、気分の浮き沈み、やる気のあるなしなどセロトニン由来とされる脳の働きは、もともと人体と微生物間の調整に使われたことが徐々に明らかになっている。 ここ数十年で急拡大している疾患、 膠原病(自己免疫疾患)やアレルギーの原因のひとつも、腸内微生物が関係している可能性が大きい。 以前、花粉症が増えたのは寄生虫(回虫とかいろいろ)がいなくなったためと言われたが、もっと小さな微生物が重要だった訳である。 地球外生物というと、火星人とかETを想像してしまうけれども、微生物とか単細胞生物だったら、太陽系外まで出なくても見つかるかもしれない。土星や木星の地下数kmまで調べられないし、地球人と意思疎通