働かなくたっていいんじゃないか

さいきん思うようになったのは、一生懸命働く必要なんかないんじゃないかということである。

働かざる者食うべからずと教えられて育ってきたし、禅やプラグマティズムの影響で働くことは当然とされている。私だって、食べるものを作ったり生活するために必要なものを自分で調達することは当然と思っている。

ところが、最近働くといえば生活とは関係ないカネ儲けばっかりである。だからルフィーみたいな連中が出てくるし、メールを開ければスパムばっかり、固定電話に入ってくるのはワン切りの勧誘電話ばっかりである。最近では、家のチャイムを鳴らして「屋根が壊れてるんですけど」と言い出す奴までいる。

「そういう人達だって一生懸命働いてるんだから」と奥さんはかなり寛容なのだけれど、だから振り込め詐欺がなくならないのだと言っても通じない。ルフィーは極悪非道だが、下請けで電話をかけたり集金に行くのはパートやセールスマンと同じ仕事である。カネをもらって誰かにやれと言われたらするのが仕事ではないだろう。困ったもんだと思う。

若い頃は、飽食の時代がそんなに長く続くことはありえない。いずれ食糧危機が来て、みんな不自由になるのだと考える人もいたが、そろそろ寿命がくるかもしれないのにそういう気配はない。ありがたいことではあるが、人間のレベルは落ちる一方である。

近未来にそういう事態が想定されると、世間には最終戦争とか世紀末という言葉があふれる。それでオウムが急拡大したのだが、そろそろ21世紀の4分の1が過ぎるのに時代は恐怖の大王が来る前と同じである。違うのは世紀末とは言えない点だが、そんなのキリスト教でそう決めただけである。

男女平等とかプライバシーとか言われ始めたのは、そういう事態が想定されなくなってからである。食べるものに不自由せず社会資本も十分ある中で、村落共同体的な消費生活では景気拡大が望めないからそうなった。どういう生活が望ましいかではなく、どうすると儲かるかで決められたのだ。

個人消費を拡大するためには、各自がカネを稼いで自分の好きなように使う必要がある。でも、本来は個人個人が消費しなくても、家族や共同体で共有できるものも相当あるはずなのだ。男女平等もプライバシーも一長一短あって、みんながみんなそれを求めている訳ではないし、幸せになれるものでもない。

仮に働くことが美徳であるとしても、それは働くことで共同体がより豊かに暮らしやすくなるから意味があるので、架空請求や振り込め詐欺でお互いを陥れることがよきこととは思えない。

だから、実はかなりの数いるとされる引きこもりやニートが、税金を使って対策をとるほどよくないこととは思えない。百歩譲っても各家庭の問題で、それを認めない家では許されないだろうというだけである。(少子化対策だって、税金を使うより男女平等撤廃の方が早道だし、ポリコレ的には移民自由化だが、これはまた別の話)

食べて着て住む場所があって他人に迷惑をかけていなければ、やりたくないことをしない自由は誰にでもあるし、価値観としておかしくもない。いま現在の私の境遇だって似たようなものである。

いちおうサラリーマンを四十年近くやってきたから世間体が保たれているだけで、働かなくてもいいくらい親の財産があるのも同じことだと思っている。サラリーマン生活だって、結局のところ他人のカネ儲けの手伝いをしただけかもしれない(きっとそうだ)。

一生懸命働いたことによって、新たな価値を生み出したとも言えないし、共同体を豊かに暮らしやすくしたことも多分ない。だったら、引きこもりやニートと言われる人達と本質的にどこが違うんだろう。

p.s. 年金生活雑感、バックナンバーはこちら


引きこもりやニートはよくないと言われるが、カネ儲けがそんなに素晴らしいことではないし、したくないことをしない自由は誰にでもある。

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