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ステイプルズ後のラスベガス

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前回お伝えしたステイプルズセンターの翌日、すぐにラスベガスに飛んでスポーツブックとポーカートーナメントで休暇を過ごした。現地ではわずか3日、往復のフライト含めて4日間のあわただしい旅行だった。 せっかく旅費を使ってアメリカまで行くのだから、もっとゆっくりすればよかったと思うけれど、その休みを取るのがやっとで、それでも未消化の休暇と代休が残っていたのだからひどい話だった。 2007年12月、18年前の記事である。 -------------------------------------------------   11月24日土曜日、ステイプルズセンターでボクシングを観戦した12時間後、すでに私はラスベガスへのノースウエストに乗っていた。今回の遠征は実質3日間、少しの時間も無駄にすることはできないのである。 昼前にはラスベガスに到着、タクシーで今回の宿エクスカリバーに向かう。まだ1時前だったが、チェックインの行列ができていたので、その後に並ぶとあっさりチェックインできて、おまけにもう部屋を使ってもいいという。厳しいスケジュールの中、少しでも余計な時間を過ごさなくていいというのはありがたい。 今回の遠征目的の一つ目はボクシング観戦だが、二つ目はいままさに佳境に入っているNFLのスポーツブックを実地に体験すること、そして三つ目がポーカートーナメントへの参加である。部屋に荷物を置き、さっそくスポーツブックを探す。 場合によったらMGMグランドまで歩かなければならないと思っていたが、エクスカリバーのスポーツブックも十分すぎるほど大きかった。ストリップ側の入り口からすると奥、シャトルバス乗り場の近くに、大画面とたくさんの小画面で、競馬やバスケットボール、そしていまやシーズンたけなわのアメリカンフットボールを中継している。そして、もちろんその勝敗についてここで賭けることができるのである。 この日は、カレッジフットボールの注目ゲームが多く行われており、現時点のランキング2・3位のミズーリ対カンザスも西部時間の午後5時半からのスタートとなっている。とはいえ、カレッジの勝敗まで予想できないので、翌日のNFLのフットボール券(?)を買い、レストラン街にある ファーストフードManchu Wok (中華と書いてあるがちっとも中華...

ロサンゼルス・ステイプルズセンター

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今週のブログに、 「人生の盛りは過ぎてそろそろ撤退」という記事 を書いた。あと2年経つと70だからそう思うのに早すぎることはないけれども、いろんなところに行ったなあと改めて思う。  以下の記事は2007年12月、もう18年前の記事になるが、旅行を企画してエアとホテルを予約、現地まで飛んだ経緯は昨日のことのようによく覚えている。何十万円かの費用よりも、いま休まないと休める時がないと思ったのだった。 現地到着は朝なのに、前日夜からホテルを予約した。当日夜から予約してどこかで時間をつぶせば1泊分の費用が浮いたけれど、それよりスケジュールの方が優先順位が高かった。そのおカネが今あれば少し楽なのだけれど、その時はそれより時間が大切だったのである。 いまは何よりも、ストレスなく毎日を過ごせることが大切である。 -------------------------------------- 先週の金曜日はステイプルズ・センターにボクシングを見に行ってきた。 (注.発音でいうとステイプルズのはずだが、日本では通常ステープルズと表記されるので、表題だけはステープルズとした。) なんて書くと何だか生意気だけど、3連休に何かいいイベントはないかなあと探していたらバルガスvsマヨルガがあって、Ticketmasterですぐ席を押さえることができて、ついでにラスベガスに寄ってくることにしてエアも押さえて、ロスとLV合計4泊分のホテルも取って、全部インターネットで事が足りてしまった。いまだに後楽園ホールの席はインターネットで押さえられないのだから、国内よりよっぽど便利である。 11月23日は勤労感謝の日。奥さんに車で成田空港まで送ってもらって第1ターミナルへ。日本時間で3時15分発のNW2、NRT-LAXである。ノースウエストは安く座席指定ができるのでとてもいいのだが、半面、JALや全日空と違って個別のディスプレイがない上、機内食も大変においしくなくて、アルコール類も有料というデメリットがある。 だから前回の遠征からポータブルDVDを持っていくことにしていて、往路の上映番組は「どろろ」「TRICK」「のだめカンタービレ」である。そして、機内食は”No, thank you.”。夕食はいったん持ってくるとなかなかトレイを下げてくれず狭くて嫌なのだが、食べなければその分広く...

今帰仁城(なきじん・ぐすく)

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このところ、 TVでJANGLIA沖縄のニュースをやっている。沖縄には出張で行くまで五十年近く足を運ばなかったが、その後仕事とプライベートで何度も行くことになった。奥さんと与論島から沖縄北部をドライブしたのもいい思い出である。 JANGLIA沖縄は名護に新しくできたテーマパークで、今帰仁城や美ら海水族館の近くである。われわれが行った頃は名護には泡盛の蔵元くらいしかなく、イオンは北谷まで車で1時間、農協の直売所がもっとも品揃え豊富だった。 大々的に売っていた 「チーイリチー」を買って酒のつまみにしようとしたら、どうにも口に合わなかった。 チーイリチーは豚の血を炒った料理で、慣れない人にはちょっと無理である。豆腐ようやイラブーより難易度が高い。足てびちとはレベルが違った。 以下は2010年2月、15年前の記事である。 --------------------------------------- 今回の沖縄のメインは、レンタカーで県北部を回ることであった。特に、名護市の近郊にある今帰仁城(なきじん・ぐすく)は、琉球統一以前の三山時代に北山王の拠点となったグスクである。グスクには、神域としての意味と戦略拠点としての意味があるが、戦略拠点としてのグスクとしては代表的なものである。もちろん、世界遺産である。 このグスクが重要な舞台となった戦いとして、1416年、琉球(三山)統一における北山王・攀安知(はん・あち)と中山王・尚巴志(しょう・はし)の戦いと、1609年、薩摩藩による琉球侵攻の戦いの2つが有名である。 1416年の戦いでは、琉球統一を図る中山王・尚巴志がきびしく攻め立てたものの、今帰仁城は微動だにせず、仕方なく謀略により篭城側の裏切りを促し、やっとのことでこの城を落としたとされる。実際、小高い丘全体が城になっており石垣は非常に高く、さらに外側は深い谷になっているので、正面攻撃だけで攻め落とすのは難しそうだ。 もともとこのグスクは、代々の有力者が百年以上の年月をかけて作り上げてきたものであるらしい。丘の頂上からは遠く海が見渡せるので、おそらく最初は神事の場として施設が作られ、次第に権力者の本拠地として、住居や倉庫、敵の攻撃に備えての石垣が整備されてきたものと思われる。 一方、1609年の薩摩藩侵攻に際しては、難攻不落のはずのこの城が...