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クマが出た三ノ木戸山に登った時の話

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先週、奥多摩の三ノ木戸山(さぬきどやま)にクマが出て、ロシアから来た登山者が大ケガをした。クマに引っかかれたらそれだけで痛い。 三ノ木戸山は奥多摩からの一般登山道で、雲取山に行く人はたいてい鴨沢から登り尾根だが、途中の鷹ノ巣山や六ツ石山へは三ノ木戸山経由石尾根で登る人も多い。バスに乗らなくても奥多摩駅からすぐ行けるので、私も好きな尾根であった。 その山にクマが現れたというので、どうやら通行禁止になったらしい。このあたりは山野井さんがクマに襲われた場所でもあり、昔はいくつか集落があったがいまは廃村だらけである。このまま奥多摩に行くのが難しくなってしまうのだろうか。残念である。 以下は2014年4月、12年前に登った時の記事。三ノ木戸集落まで下りてくると、元国会議員の別荘だという巨大な木造建築があったのが印象に残る。 ---------------------------------------------------------------- 30分ほど休んで、再び出発。三ノ木戸山頂上付近のなだらかな平地を、さらに10分ほど歩くと分岐点である。ここには「三ノ木戸から奥多摩駅方面」の標識があって、1/25000図には載っていないが、WEB情報によれば普通に歩ける登山道ということである。今日はこの道を下る計画であった。ただ、ちょっと不安だったのは、つい2、3日前の日付で「通行注意。橋が壊れています」と書いてあったことである。 注意であって禁止でないのだから、歩いて歩けないことはなかろうと分岐点から南へと下って行った。 石尾根から三ノ木戸集落に向かう登山道は、スイッチバックの行ったり来たりで急坂が多い上に道幅は全体に狭いけれど、歩きやすく整備されていた。もしかすると、水道局の巡視に使われている道なのかもしれない。私の他には誰も歩いておらず、すれ違ったり抜かれたりせずに自分のペースで歩けたこともあって、むしろ絹笠から登ってきた道よりも歩きやすく感じた。 問題は、コースタイムが分からないことである。前回、十二天山から奥多摩駅までの帰り道に2時間15分かかったことからして、大体そのあたりが見当だろうと思う。そしてお昼の後に歩き出したのが12時20分だったから、下山は大体2時半頃と予測した。早めに着いてひと風呂浴びてホリデー快速に乗れればいいのだけ...

然別湖畔温泉

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北海道は自分で旅行するようになってから、何十回と行った。独身時に8年連続、子供を連れて8年連続、子供が独立して奥さんと二人で十数回。ここしばらく行っていないのは、 列車もホテルも観光地も中国人で一杯になったのと、温暖化で夏でも涼しくない のが大きな要因である。 日本渡航自粛令が出て、最近ではようやく静かになったらしい。インバウンド需要など長続きするものではなく、リゾートの土地買い占めもいい加減にしてほしい。もっともクマが市街地に進出しているので、彼らもまさか獲って食べる訳にはいかないだろう。 以下は2015年7月の記事。 北海道は広くみどころも多いが、その中でも然別湖(しかりべつこ)は印象深い場所のひとつである。あまり中国人が来なくなったら、もう一度行ってみたい。 ----------------------------------------------- 帯広市街から北に向かって2時間弱、然別湖は大雪山国立公園の区域内にある。きわめて環境保護に厳しい地域であり、道路も一部は一車線のみである。新規の建築が原則として認められないため、宿泊施設は然別湖畔温泉ホテル、ホテル福原の2軒しかない。 実はこの2軒以外に、40年前は然別湖畔ユースホステルがあった。湖畔温泉ホテルがやっていたユースホステルで、2段ベットのぎゅうぎゅう詰めだったと記憶しているが、当時はユースホステルなんてみんなそんなもんだった。ここの遊覧船も湖畔温泉ホテルが経営しているので、料金が割引になったように覚えている。 然別湖に泊まるのは、以来40年振りのことである。湖畔温泉ホテルは現在、ホテル風水という名前を使っているが、ところどころに古い名前の表示が残っている。おそらく閑散としているのだろうと思っていたら、予想に反して観光バスが6、7台という盛況であった。ホテル風水には中国人ツアー客が数十人、ホテル福原には京都の修学旅行生が泊まり、たいへんな賑わいであった。 ホテル風水は客室のすぐ外が湖なので、窓から然別湖が一望できる。湖の対岸が天望山、別名唇山(くちびるやま)である。湖面に映った山がちょうど上下の唇のように見えることから名付けられた。着いた日の夕方は霧に包まれて見えず、翌朝の夜明け前にようやく見えた。ところが日が昇ると、右端の峠から雲が進出してきて再び姿を隠してしまった。神秘的である。...

中山開拓・拓魂碑まで歩いてきました

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4月29日に石岡トレランコースの3回目、中山開拓の拓魂碑まで歩いてきました。ここは第二次大戦後、満州からの引揚者の受け入れ先として国有林を提供した土地で、移り住んだ方々はたいへん苦労されたという。 「拓魂碑」は最後に残った細野氏が亡くなった後にその功績を記したもので、開拓地のもっとも上、標高297mの独標付近に建っている。付近には細野氏の拓いた茶畑や製茶工場もあったが、残念ながら自然に還りつつある。 詳しい登山記録は5月21日から木曜日に ブログ 連載予定。 この日の行程 里山学校駐車場(40) 6:40 7:15 仏生寺集落(60) 7:15 7:30 中山集落(140) 7:30 7:50 林道分岐(230) 7:50 8:00 拓魂碑(297) 8:10 8:25 ふれあいの道合流(200) 8:25 9:00 北向観音堂(70) 9:15 9:45 里山学校駐車場(40) [推定距離 11.4km] p.s.「中高年の山歩き」バックナンバーは こちら 。 ↓どれかクリックしていただければうれしいですが、ブログ村は最近広告ばっかりなので、データ無制限でない方はご注意ください。