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第二種電気工事士実技試験 ~ポリテクの思い出

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来年になると、リタイアして10年になる。 10年ひと昔と言うけれども、隠居生活も長くなった。 定年して会社に行かなくなると、毎日ヒマで仕方がないという話がWEBにもいろいろ出ているが、幸いなことにヒマで困ったことはない。おカネがなくて困るのはしょっちゅうだが。 リタイアしてすぐハローワークに行き、すすめられてポリテクを受けたら入ることができた。半年間職業訓練を受けて、いくつかの資格を取った。残念ながらまったく役に立っていないが、新しい知識を得ることはいつだって楽しい。 以下は2017年9月、ちょうど8年前の記事である。ボイラー技士や危険物取扱者の資格も取ったが、もっとも刺激になったのは第二種電気工事士であった。下手だけれど、家庭内の電気工事や配線工事は堂々とすることができる。 -------------------------------------------------------------- ポリテクセンターは終わったけれど、まだ資格試験は残っている。中でも 第二種電気工事士は、家の中の配線工事を大手を振ってできる資格 であるので、職業訓練を受ける際にもっとも取りたい資格であった。ただ、年に2回しか受験できないので、1月生の場合には在所中に資格取得までには至らないのであった。 すでに6月はじめに筆記試験は済んでいる。自己採点では9割取れていたのでまず大丈夫と思って実技の準備に入る。実技試験は試験問題が公表されているのでそれを繰り返し練習すればいいのだけれど、なにせ公表されている問題が13問ある。公表されているから楽勝とは言い難いのである。 ただ、ポリテクセンターにいる間に、授業でひととおり実習している。そして、幸いなことに28年度の公表問題(授業でやった問題)と29年度の公表問題は、一部細かいところが違っているだけで配線図は変わらない。あと二回くらいやってみて、制限時間(40分)以内に完成できるよう準備すればよさそうであった。 準備に必要な工具と資材(部品・ケーブル)は2万円払ってamazonから入手した。テーブルを保護するための工作ボードも買ってきた。あとは練習するだけなので、修了式の次の日から早速とりかかったのである。 13問ということは、カードと同じである。 手持ちのカードのAからKまで、引いたカードの数字でその日やる課題を決める。 準...

ステイプルズ後のラスベガス

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前回お伝えしたステイプルズセンターの翌日、すぐにラスベガスに飛んでスポーツブックとポーカートーナメントで休暇を過ごした。現地ではわずか3日、往復のフライト含めて4日間のあわただしい旅行だった。 せっかく旅費を使ってアメリカまで行くのだから、もっとゆっくりすればよかったと思うけれど、その休みを取るのがやっとで、それでも未消化の休暇と代休が残っていたのだからひどい話だった。 2007年12月、18年前の記事である。 -------------------------------------------------   11月24日土曜日、ステイプルズセンターでボクシングを観戦した12時間後、すでに私はラスベガスへのノースウエストに乗っていた。今回の遠征は実質3日間、少しの時間も無駄にすることはできないのである。 昼前にはラスベガスに到着、タクシーで今回の宿エクスカリバーに向かう。まだ1時前だったが、チェックインの行列ができていたので、その後に並ぶとあっさりチェックインできて、おまけにもう部屋を使ってもいいという。厳しいスケジュールの中、少しでも余計な時間を過ごさなくていいというのはありがたい。 今回の遠征目的の一つ目はボクシング観戦だが、二つ目はいままさに佳境に入っているNFLのスポーツブックを実地に体験すること、そして三つ目がポーカートーナメントへの参加である。部屋に荷物を置き、さっそくスポーツブックを探す。 場合によったらMGMグランドまで歩かなければならないと思っていたが、エクスカリバーのスポーツブックも十分すぎるほど大きかった。ストリップ側の入り口からすると奥、シャトルバス乗り場の近くに、大画面とたくさんの小画面で、競馬やバスケットボール、そしていまやシーズンたけなわのアメリカンフットボールを中継している。そして、もちろんその勝敗についてここで賭けることができるのである。 この日は、カレッジフットボールの注目ゲームが多く行われており、現時点のランキング2・3位のミズーリ対カンザスも西部時間の午後5時半からのスタートとなっている。とはいえ、カレッジの勝敗まで予想できないので、翌日のNFLのフットボール券(?)を買い、レストラン街にある ファーストフードManchu Wok (中華と書いてあるがちっとも中華...

ロサンゼルス・ステイプルズセンター

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今週のブログに、 「人生の盛りは過ぎてそろそろ撤退」という記事 を書いた。あと2年経つと70だからそう思うのに早すぎることはないけれども、いろんなところに行ったなあと改めて思う。  以下の記事は2007年12月、もう18年前の記事になるが、旅行を企画してエアとホテルを予約、現地まで飛んだ経緯は昨日のことのようによく覚えている。何十万円かの費用よりも、いま休まないと休める時がないと思ったのだった。 現地到着は朝なのに、前日夜からホテルを予約した。当日夜から予約してどこかで時間をつぶせば1泊分の費用が浮いたけれど、それよりスケジュールの方が優先順位が高かった。そのおカネが今あれば少し楽なのだけれど、その時はそれより時間が大切だったのである。 いまは何よりも、ストレスなく毎日を過ごせることが大切である。 -------------------------------------- 先週の金曜日はステイプルズ・センターにボクシングを見に行ってきた。 (注.発音でいうとステイプルズのはずだが、日本では通常ステープルズと表記されるので、表題だけはステープルズとした。) なんて書くと何だか生意気だけど、3連休に何かいいイベントはないかなあと探していたらバルガスvsマヨルガがあって、Ticketmasterですぐ席を押さえることができて、ついでにラスベガスに寄ってくることにしてエアも押さえて、ロスとLV合計4泊分のホテルも取って、全部インターネットで事が足りてしまった。いまだに後楽園ホールの席はインターネットで押さえられないのだから、国内よりよっぽど便利である。 11月23日は勤労感謝の日。奥さんに車で成田空港まで送ってもらって第1ターミナルへ。日本時間で3時15分発のNW2、NRT-LAXである。ノースウエストは安く座席指定ができるのでとてもいいのだが、半面、JALや全日空と違って個別のディスプレイがない上、機内食も大変においしくなくて、アルコール類も有料というデメリットがある。 だから前回の遠征からポータブルDVDを持っていくことにしていて、往路の上映番組は「どろろ」「TRICK」「のだめカンタービレ」である。そして、機内食は”No, thank you.”。夕食はいったん持ってくるとなかなかトレイを下げてくれず狭くて嫌なのだが、食べなければその分広く...

今帰仁城(なきじん・ぐすく)

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このところ、 TVでJANGLIA沖縄のニュースをやっている。沖縄には出張で行くまで五十年近く足を運ばなかったが、その後仕事とプライベートで何度も行くことになった。奥さんと与論島から沖縄北部をドライブしたのもいい思い出である。 JANGLIA沖縄は名護に新しくできたテーマパークで、今帰仁城や美ら海水族館の近くである。われわれが行った頃は名護には泡盛の蔵元くらいしかなく、イオンは北谷まで車で1時間、農協の直売所がもっとも品揃え豊富だった。 大々的に売っていた 「チーイリチー」を買って酒のつまみにしようとしたら、どうにも口に合わなかった。 チーイリチーは豚の血を炒った料理で、慣れない人にはちょっと無理である。豆腐ようやイラブーより難易度が高い。足てびちとはレベルが違った。 以下は2010年2月、15年前の記事である。 --------------------------------------- 今回の沖縄のメインは、レンタカーで県北部を回ることであった。特に、名護市の近郊にある今帰仁城(なきじん・ぐすく)は、琉球統一以前の三山時代に北山王の拠点となったグスクである。グスクには、神域としての意味と戦略拠点としての意味があるが、戦略拠点としてのグスクとしては代表的なものである。もちろん、世界遺産である。 このグスクが重要な舞台となった戦いとして、1416年、琉球(三山)統一における北山王・攀安知(はん・あち)と中山王・尚巴志(しょう・はし)の戦いと、1609年、薩摩藩による琉球侵攻の戦いの2つが有名である。 1416年の戦いでは、琉球統一を図る中山王・尚巴志がきびしく攻め立てたものの、今帰仁城は微動だにせず、仕方なく謀略により篭城側の裏切りを促し、やっとのことでこの城を落としたとされる。実際、小高い丘全体が城になっており石垣は非常に高く、さらに外側は深い谷になっているので、正面攻撃だけで攻め落とすのは難しそうだ。 もともとこのグスクは、代々の有力者が百年以上の年月をかけて作り上げてきたものであるらしい。丘の頂上からは遠く海が見渡せるので、おそらく最初は神事の場として施設が作られ、次第に権力者の本拠地として、住居や倉庫、敵の攻撃に備えての石垣が整備されてきたものと思われる。 一方、1609年の薩摩藩侵攻に際しては、難攻不落のはずのこの城が...

野付半島

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今日(2025年7月22日)もまた猛暑である。北海道も例外ではなく、北見の最高気温は38℃とか言っている。 こういう話を聞くと、北海道に足しげく出かけた頃はよかったと思う。まだ宿泊施設に冷房のないところがあった時代で、最高気温はせいぜい30℃、20℃台が普通で、最低気温一桁という日が珍しくなかった。 下の記事で訪問した日(2012年7月29日)、野付半島付近(標津)の最高気温は27.2℃、最低気温は11.6℃ だった。昨日の最高気温は31.1℃、最低気温は21.4℃である。十数年で気候が変わってしまった。 ------------------------------------ ギリヤークを見に行った次の日、根室から道東をドライブしてきた。 道東の中でも野付半島は非常に好きなところで、もう何回も行っている。とはいっても、最後に行ったのは子供の小さい頃なので、十何年か前のことだ。多少は変わったかなと思っていたら、全然変わっていなかった。むしろ寂れてしまったのではないかと思われるくらいだった。 根室の先にある日本最東端のノサップ岬と、道東のシンボルともいえる知床半島。野付半島はこの2つのちょうど中間点にある。北方領土の国後島とはわずか16kmの距離にあり、はるか昔江戸時代の終り頃には、野付半島と国後島との間に航路があった。 その渡し船が出ていたのは「アラハマワンド」という場所で、今は漁協管理で潮干狩の場所として使われているようだ。その砂浜には、かつて港にあった建物の残骸が埋まっていて、よく探すと家財道具やら食器やらが出てくるということである。行ってみたい所なのだが、残念ながら1日がかりになってしまうのであきらめる。 代わりに訪問したのが別海町の道の駅「おだいとう」である。ここは近年できた施設で、展望台からは16km先の国後島がよく見える。北方領土に関連する資料も多く掲示されているほか、返還に向けた署名簿も置かれている。 北方領土問題は私が北海道に行き始めた40年前には相当盛り上がっていたが、いまや竹島や尖閣諸島に押されて全国的な扱いは決して大きくはない。とはいえ北海道には戦前に北方領土に住んでいた人も多く、先祖の墓地も残されているため、今なお喫緊の課題となっている。 北方領土問題のウェイトが下がったのは私のみるところ2つの要因が大きい。一つは、高度...