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2022白井梨マラソン

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二十数年振りにランニングを再開して、今年で4シーズン目になる。初めは5km何とか走れるくらいだったのに、ハーフの21kmまで持つようになったのは、我ながらたいしたものである。 今年の梨マラソンは3年ぶりに出て、とても暑い日で正直バテた。練習だと10kmくらいなら給水なしで大丈夫なのだが、レースでは半分行かないうちに喉が渇いて、給水所はまだかと思いながら走った。 以下は2022年10月の記事。初心忘れるべからず。「速く走るより楽に走る」こと、老化防止と健康維持を図ることが大目的で、順位とかタイムなんて二の次三の次であることを忘れないようにしたい。 ------------------------------- 集団から離れることもなく、常に前後に人がいる状況で1kmを過ぎる。コースは運動公園進入路から右に折れて、市営プールの前を走る。 特に息が切れることもなく、1.5kmを通過した。 少しつらいのは、自分のペースで走れないことで、前が詰まるとペースを落とすしかない。このあたりからすでに折り返した集団が増えてきて、2列縦隊でしか走れない。 グループでまとまってのんびり走る組とか、折り返し前なのにすでに歩いている人を抜いて行く。抜かれることは想定していたが、抜くことは想定していなかった。それでも、息が切れるほどではないし、直射日光がきつい割には汗も多くない。 家の周りやこのコースの試走では、半分走るまでに汗びっしょりになり、フェイスタオルを出して拭かなくてはならなかった。ところが本番では、30℃の予想最高気温だというのに、それほど汗をかかない。緊張しているのだろうか。 番外札所・河原子堂で右折して折り返し地点に向かう。それほどきつくないのは、周囲に人がいてペースが上がらないせいだろう。後ろにどれくらい人がいるか気になっていたが、折り返してみるとまだ何十人かいて最後尾まで数百mある。 折り返した後にペースを上げる人もいてこの後何人かに抜かれたが、 自分のペースはそれほど落ちていなかったと思う。 このあたりからは、折り返し前から近くにいてペースが似た人を目標にした。 帰りの市営プール付近、残り1.5kmあたりからだらだらとした登り坂が続き、さすがに息が切れる。足も上がらなくなってきたが、目標にした人から遅れないようにがんばった。やがて運動公...

富山(とみさん)の山歩き

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クマ被害の報道は、11月に入っても続いている。ここまで来ると国も対策を取らなければならないと思われ、来年は少しでも事態が改善されていることを期待したい。 関東では唯一クマのいない県である千葉だが、しばらく前の台風で登山道が壊滅してから行っていない。この冬は久しぶりに行くことになりそうだ。 下の記事は2013年2月、12年前に富山(とみさん)に行った時の記事。当時まだ平成なので、文中「皇太子殿下」とあるのは今上天皇陛下である。また蔦屋重三郎は今年の大河ドラマの主人公。時の流れを感じざるを得ない。 当時の山行記録バックナンバーは こちら 。 ------------------------------------------------------- 伊予ヶ岳の下りでややきつい勾配をクリアすると、あとは房総らしいなだらかなアップダウンが続く。9時を過ぎて暖かくなり、絶好のお散歩日和となった。伊予ヶ岳から富山(とみさん)は約1時間のハイキングコースである。 2万5千分の1地形図は用意しているものの、目の前に富山、後方に伊予ヶ岳が見えるのでほとんど方向は間違いようがない。唯一戸惑ったのは、畑の中を抜けようとして猪防除の電線を踏みそうになった時くらいで、下の写真のような富山を正面に望む尾根道を進んでいく。右左は下っていて、車道がかなり下に見える。 ときどき農家の人達が作業をしている横を通り過ぎるが、このルートをとる人はあまりいないのか、すれ違うハイカーはほとんどいない。あたりには水仙の花がいっぱい。出荷するのか畑にきれいに植わっているもあれば、こぼれ種(球根?)なのか草むらに群生しているのもある。このあたりは首都圏より4~5℃、奥多摩あたりと比べると10℃くらい気温が高いので、そろそろ花の季節なのである。 富山に近づくとだんだんと傾斜が急になる。舗装道路が続いているのですぐに気付かないが、振り返るとかなり急坂を登ってきたのが分かる。とはいえ、休憩をはさむほどではない。さらに進むと、道端に「お使いください」と竹の杖が置いてある。 さて、富山は滝沢馬琴「南総里見八犬伝」の舞台としても有名である。「八犬伝」は戦国大名・里見氏をモデルとした馬琴の創作なので、もちろん伏姫も八房も八犬士も実在しない。里見氏はもともと新田氏の分家筋で代々幕府に仕え、足利幕府・古河公...

三毛別ヒグマ事件跡地

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昨年もクマ被害の話はあったが、今年は昨年以上に多発している。知床の登山者に始まり、キノコ狩りや温泉管理のおじさん、最近は民家の庭先にまで現れて人間を襲っている。 ここまでくると、有害獣駆除ということで人里に出てきたら射殺するでいいのではないか。希少動物保護も遺伝子多様性も大事だろうが、人の安全とどちらが大事かということである。保護保護言ってる奴らは、クマに顔でもひっかかれればいいのだ。 以下は2014年8月、道北の三毛別ヒグマ事件の跡地に行った時の記事。当時もいまも、クマに食われるのは安らかな死に方とはいえない。 -------------------------------------- 未舗装道路を進むこと1km弱、いよいよヒグマ事件跡地に到着した。 車の周囲には、さっそく虻やら蜂やらが寄ってくるので、まずは車の中から観察する。大正時代とはとても思えない粗末な小屋に、巨大な熊が襲いかかっている(写真)。 ヒグマは北海道に生息していて、本州のツキノワグマに比べて気性が荒く、人間にも平気で襲いかかってくるといわれている。だが実際にはツキノワグマと同様、ヒグマも基本的には人間を避けたいという気持ちは持っているようだ。でなければ、クマが人間を襲うという事件はもっと多いだろう。 ヒグマの本拠地である日高山脈でも、登山者をヒグマが襲った大事件は1970年の福岡大学事件などがあるものの、それほど多い訳ではない。最近でもヒグマ目撃情報は山ほどあり、実際に写真に撮った人も多くいるにもかかわらず、ヒグマの方が逃げているので大事に至っていない。やはりヒグマにも個体差があり、あまり無謀なのは遺伝子を残せないのかもしれない。 思うに、ヒグマ以上に現実の脅威なのは蜂である。熊はニュースになるが蜂はニュースにならないためあまり知られていないが、熊に襲われて死ぬ人はほとんどいないのに対し、蜂に刺されてアナフィラキシー・ショックによって命を落とす人はけっこういる。北海道の山道を通ると、こうして蜂がぶんぶん飛んでいるのに出くわすことがある。とても車の外には出られない。 資料館のおばさんはまだ大丈夫と言っていたけれど、やっぱり蜂はいるのであった。洞爺湖の近くに虻田という地名が残るように、北海道は虻だの蜂だのが多い土地なのだ。もっとも、雪解けからそれほど経っていない7月...

二十年前、テニアンポーカー選手権制覇!!

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いまから20年前の2005年、私の人生において数少ない成功体験のひとつであるテニアン・ポーカー・チャンピオンシップの優勝があった。もはやテニアン・ダイナスティホテルも営業していないし、ポーカーをプレイしなくなって久しいけれど、当時のことはいまでもなつかしく思い出す。 当時一緒にカシノに出かけた人達、ポーカーをプレイした人達は、私の人生における素晴らしい出会いであったし、あれほど輝いた時間を再び体験することはないだろう。もちろん、現在は現在でかけがえのない時間であり、日々前向きに過ごしているけれども、人生の終盤でありいわゆる「余生」であることは否定できない。 統計的にみて、20年後にはこの世にいない可能性の方が大きい。これから先、海外カシノに出かける機会はおそらくないし、日本でカシノ解禁になることも多分ない。マラソン大会で上位に入るなんてことはそれ以上になく、あるとすれば50年後に私だけが参加者の場合(u-120!)だろう。 以下は2005年9月の記事。ブログを始めて間もなく、こういうスペキュタキュラーな出来事を記事にできたのはうれしいことであった。 ----------------------------------------------------- 北マリアナ連邦テニアン島におけるテキサス・ホールデム・ポーカー・チャンピオンシップ、2日間の戦いはいよいよ大詰めを迎えていた。 41人の参加者の中で、ここまで勝ち残っているのは3名、私、岡山のカジ恋夫妻の夫で自由人tagaman、現地からただ一人決勝テーブルに残り、さらにここまで勝ち上がってきたMr.ダグラスである。イン・ザ・マネー直前で延べ3ラウンドにわたり30分以上の戦いが続いたのだが、ここからの展開は速かった。 まず、私がボタン、tagamanがSB、Mr.ダグラスがBBの時、私がメイク40000のレイズをした。この時点でブラインドは6000-12000。総チップ数が215,000のうち、私が若干リードだがほとんど10000点くらいの差しかない。tagaman、Mr.ダグラスともフォールドで、18000点のスチールに成功、この時点で持ちチップは100,000点を初めて超えた。ほぼ半分のシェアである。ここまで来たら、負ける訳にはいかない、と思った。 次...

抵当権抹消は自分で手続きして節約

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この間奥さんと、年金生活者が物価高騰で生活に困っているという話題になった。その時奥さんが「ローンなしの家があるってありがたいよね。家賃がいらないから食べていければいいし、修繕なんかしなきゃしないで何とかなる」というので、なるほどそうだと思った。 住宅ローンは退職金で完済して、以後大規模修繕(外壁塗装)したものの、当分大丈夫である。畳替えはずっとしていないが、自分達がよければ特に困らない。家電やガス湯沸し器の更新があるのが厄介だが、金額的に大規模修繕ほどにはならない。あとは入ってくる年金で、細々と暮らしていければいい。 以下は2016年9月、9年前の記事になる。住宅ローン完済後の抵当権抹消は、節約のため自分で手続きした。設定と違って、抹消は自分でできるのがいいところである。 ---------------------------------------------- そうこうしている間に、月初に返済したローンの書類が戻ってきたと銀行から連絡があったので取りに行く。この仕事はその昔、銀行に入って2年目にやった仕事なので懐かしい。もっとも、当時は新規貸付ばっかりで完済はほとんどなかったが。 手続き書類は昔といくつか変わっている。16年前に借りたローンは、昔と同じく抵当権設定契約証書に「登記済」の判が押してある登記済証だが、3年前に住公から借り換えた方は「登記識別情報」というマスクがかかったデータになっている。そして、昔はいちいち銀行の資格証明を渡していて、有効期限が3ヵ月、終わったら返してくださいなどとやっていたのだが、いまでは法人番号を書くと省略できる。 さっそく家に帰り、 法務局のホームページやWEBを見ながら登記申請書を作成する。 そんなに難しいものではないが、書類の綴じ方とか登記識別情報の扱いが分からないので、法務局に相談に行くことにする。 昔はそんなものはなかったが、いまでは法務局では登記相談を行っている。金曜日の午後に電話したら、月曜日に1枠だけ空いているというので、その時間を予約した。なんだかとんとん拍子に進んで気持ちがいい。月曜日に、指定された時間に法務局に行く。登記相談は4番窓口だ。 前の順番の人は申請書から書いているので時間がかかったが、私は申請書はすでに作成しているので5分で終わってしまった。委任状に間違えないように自分の名前を書き、...