野付半島
今日(2025年7月22日)もまた猛暑である。北海道も例外ではなく、北見の最高気温は38℃とか言っている。

こういう話を聞くと、北海道に足しげく出かけた頃はよかったと思う。まだ宿泊施設に冷房のないところがあった時代で、最高気温はせいぜい30℃、20℃台が普通で、最低気温一桁という日が珍しくなかった。
下の記事で訪問した日(2012年7月29日)、野付半島付近(標津)の最高気温は27.2℃、最低気温は11.6℃だった。昨日の最高気温は31.1℃、最低気温は21.4℃である。十数年で気候が変わってしまった。
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野付半島からは、国後島がはっきり見える。南部にある泊山(うっすらと写っている)はもちろん、なんとか北部の爺々岳(ちゃちゃだけ)も見ることができる。
ギリヤークを見に行った次の日、根室から道東をドライブしてきた。
道東の中でも野付半島は非常に好きなところで、もう何回も行っている。とはいっても、最後に行ったのは子供の小さい頃なので、十何年か前のことだ。多少は変わったかなと思っていたら、全然変わっていなかった。むしろ寂れてしまったのではないかと思われるくらいだった。
根室の先にある日本最東端のノサップ岬と、道東のシンボルともいえる知床半島。野付半島はこの2つのちょうど中間点にある。北方領土の国後島とはわずか16kmの距離にあり、はるか昔江戸時代の終り頃には、野付半島と国後島との間に航路があった。
その渡し船が出ていたのは「アラハマワンド」という場所で、今は漁協管理で潮干狩の場所として使われているようだ。その砂浜には、かつて港にあった建物の残骸が埋まっていて、よく探すと家財道具やら食器やらが出てくるということである。行ってみたい所なのだが、残念ながら1日がかりになってしまうのであきらめる。
代わりに訪問したのが別海町の道の駅「おだいとう」である。ここは近年できた施設で、展望台からは16km先の国後島がよく見える。北方領土に関連する資料も多く掲示されているほか、返還に向けた署名簿も置かれている。
北方領土問題は私が北海道に行き始めた40年前には相当盛り上がっていたが、いまや竹島や尖閣諸島に押されて全国的な扱いは決して大きくはない。とはいえ北海道には戦前に北方領土に住んでいた人も多く、先祖の墓地も残されているため、今なお喫緊の課題となっている。
北方領土問題のウェイトが下がったのは私のみるところ2つの要因が大きい。一つは、高度成長期が終わりバブルも崩壊して、日本の経済力が低下したことである。かつて日本は世界第二位の経済大国であり、日本・ソ連間に平和条約が締結されれば、多大な経済援助が期待できた。いまやそうしたメリットはあまり期待できない。むしろ経済水域を縮小することはロシアにとって大きなデメリットとなる。
もう一つは、やはり「ムネオ問題」であろう。北方領土はおそらく帰ってこない。しかし、帰ってくる可能性があると言い続けることによって、それを商売にする人がいる。誰が考えてもうさんくさい話だが、そこに鈴木宗男が絡むとさらにうさんくさい。実際に便宜を図ったり利益を得ていたのであるから、北方領土問題自体、うさんくさい話にされてしまった。
それに、もしいま北方四島が返還されても、インフラも整備されていない島に帰る人がどれだけいるのだろうか。仕事はあるのだろうか。それにいま現在、北方四島に住んでいるロシアの人たちはどうするのだろうか。そうしたことを考えると、北方領土問題を解決する環境は、40年前と比べて相当に厳しくなっているような気がした。
p.s. この記事の続きをご覧になりたい方はこちら。
根室の先にある日本最東端のノサップ岬と、道東のシンボルともいえる知床半島。野付半島はこの2つのちょうど中間点にある。北方領土の国後島とはわずか16kmの距離にあり、はるか昔江戸時代の終り頃には、野付半島と国後島との間に航路があった。
その渡し船が出ていたのは「アラハマワンド」という場所で、今は漁協管理で潮干狩の場所として使われているようだ。その砂浜には、かつて港にあった建物の残骸が埋まっていて、よく探すと家財道具やら食器やらが出てくるということである。行ってみたい所なのだが、残念ながら1日がかりになってしまうのであきらめる。
代わりに訪問したのが別海町の道の駅「おだいとう」である。ここは近年できた施設で、展望台からは16km先の国後島がよく見える。北方領土に関連する資料も多く掲示されているほか、返還に向けた署名簿も置かれている。
北方領土問題は私が北海道に行き始めた40年前には相当盛り上がっていたが、いまや竹島や尖閣諸島に押されて全国的な扱いは決して大きくはない。とはいえ北海道には戦前に北方領土に住んでいた人も多く、先祖の墓地も残されているため、今なお喫緊の課題となっている。
北方領土問題のウェイトが下がったのは私のみるところ2つの要因が大きい。一つは、高度成長期が終わりバブルも崩壊して、日本の経済力が低下したことである。かつて日本は世界第二位の経済大国であり、日本・ソ連間に平和条約が締結されれば、多大な経済援助が期待できた。いまやそうしたメリットはあまり期待できない。むしろ経済水域を縮小することはロシアにとって大きなデメリットとなる。
もう一つは、やはり「ムネオ問題」であろう。北方領土はおそらく帰ってこない。しかし、帰ってくる可能性があると言い続けることによって、それを商売にする人がいる。誰が考えてもうさんくさい話だが、そこに鈴木宗男が絡むとさらにうさんくさい。実際に便宜を図ったり利益を得ていたのであるから、北方領土問題自体、うさんくさい話にされてしまった。
それに、もしいま北方四島が返還されても、インフラも整備されていない島に帰る人がどれだけいるのだろうか。仕事はあるのだろうか。それにいま現在、北方四島に住んでいるロシアの人たちはどうするのだろうか。そうしたことを考えると、北方領土問題を解決する環境は、40年前と比べて相当に厳しくなっているような気がした。
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北海道の根室、稚内あたりでは、今なお北方領土問題が喫緊の課題となっている。道の駅にある「叫び」と題された像は、親子三代が16m先の四本の柱に向かって戻るように叫んでいる。16mは国後島との距離16kmにちなむとのこと。

野付半島からは、国後島がはっきり見える。南部にある泊山(うっすらと写っている)はもちろん、なんとか北部の爺々岳(ちゃちゃだけ)も見ることができる。

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