二十年前、テニアンポーカー選手権制覇!!
いまから20年前の2005年、私の人生において数少ない成功体験のひとつであるテニアン・ポーカー・チャンピオンシップの優勝があった。もはやテニアン・ダイナスティホテルも営業していないし、ポーカーをプレイしなくなって久しいけれど、当時のことはいまでもなつかしく思い出す。
当時一緒にカシノに出かけた人達、ポーカーをプレイした人達は、私の人生における素晴らしい出会いであったし、あれほど輝いた時間を再び体験することはないだろう。もちろん、現在は現在でかけがえのない時間であり、日々前向きに過ごしているけれども、人生の終盤でありいわゆる「余生」であることは否定できない。
統計的にみて、20年後にはこの世にいない可能性の方が大きい。これから先、海外カシノに出かける機会はおそらくないし、日本でカシノ解禁になることも多分ない。マラソン大会で上位に入るなんてことはそれ以上になく、あるとすれば50年後に私だけが参加者の場合(u-120!)だろう。
以下は2005年9月の記事。ブログを始めて間もなく、こういうスペキュタキュラーな出来事を記事にできたのはうれしいことであった。
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北マリアナ連邦テニアン島におけるテキサス・ホールデム・ポーカー・チャンピオンシップ、2日間の戦いはいよいよ大詰めを迎えていた。
41人の参加者の中で、ここまで勝ち残っているのは3名、私、岡山のカジ恋夫妻の夫で自由人tagaman、現地からただ一人決勝テーブルに残り、さらにここまで勝ち上がってきたMr.ダグラスである。イン・ザ・マネー直前で延べ3ラウンドにわたり30分以上の戦いが続いたのだが、ここからの展開は速かった。
まず、私がボタン、tagamanがSB、Mr.ダグラスがBBの時、私がメイク40000のレイズをした。この時点でブラインドは6000-12000。総チップ数が215,000のうち、私が若干リードだがほとんど10000点くらいの差しかない。tagaman、Mr.ダグラスともフォールドで、18000点のスチールに成功、この時点で持ちチップは100,000点を初めて超えた。ほぼ半分のシェアである。ここまで来たら、負ける訳にはいかない、と思った。
次は私がBB、tagamanボタン、Mr.ダグラスのSBである。tagamanは少考して、オールイン。Mr.ダグラス迷うことなくフォールド、私の番で、手札はA2oである。ほとんどノータイムでコール。ここで考えたのは、仮にこの手で負けてもまだ勝負できるくらいのチップは残るし、勝てば完全に優勢である。おまけにAがあるのだから行くしかない。一方tagamanの手はなんと34sである。
それでも、その直前に「侍斬り」を果たしているtagamanは十分に恐ろしかったし、実際ストレートで逆転の目もあったのだが、辛くも残してtagamanのチップを吸収。持ちチップは15万点を超え、Mr.ダグラスとの差は3倍以上となった。
いよいよヘッズアップ。手元のチップも整理し終わらないうちに次のカードが配られた。前回私がBBだったので、次はMr.ダグラスのBB、私のSBである。手をみると、Q9o。迷わず、オールインである。ここは流れ的に、行くしかない。もっと低いハンドでも行ったと思う。Mr.ダグラスは長考。何度も手元のカードを見直している。コールすれば勝負となる。フォールドしたら4倍以上の差がつく。結局、コール。いよいよ最終決戦である。
Mr.ダグラスの手はK5。ならば私のも十分勝負になる手である。フロップが開かれると、なんとQヒットである。ターンでもKは出ない。リバーでKが出なければ私の勝ち。それでも、「nine!」と呼び込んだ。9ではなかったが、Kでもなかった。優勝である。3人になってから、実質3手の勝負であった。
この場をお借りして応援していただいた方々や、京都や浅草橋で、あるいはネット上で鍛えてくださった方々、テニアンでご一緒した方々にお礼を申し上げたいと思います。どうもありがとうございました!
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