瀬戸内海・本島(ほんじま)

2025年も残すところあとわずか。年が改まったからといって生活に特段の変化がない年金生活者であるが、年末年始の準備もあるし確定申告も迫ってきた。いろいろと気ぜわしいことである。

サラリーマン時代も遠い過去のことになった。当時から「会社に貸しはあっても借りはない」と思っていたし、いま考えてもひどい扱いをされてきたと思う。数少ない良かった点は、それまでの職場と違い出張が多かったことで、前後の空き時間でいろいろな場所に行くことができた。得難い経験であった。

以下は瀬戸内海の本島(ほんじま)に行った時の記事。丸亀からフェリーで約30分。観光船みたいな船に乗り継いで本州側の児島まで数時間の船旅であった。2010年3月だから、約16年前になる。

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なぜか機会というのは続くもので、先日の江田島に次いで瀬戸内海を訪れることになった。いつも瀬戸大橋を通るばかりでは面白くないので、今回は船で四国から本州に渡ってみようというのである。


瀬戸大橋は昔、児島・坂出ルートといっていたくらいで、本州側の児島から四国側の坂出に通じている。このルートは塩飽(しわく)諸島という島々が連なっていて、島の部分は地上に道路や鉄道を引くのと同じだから、建設費の関係から選ばれたものと思われる。

島々が連なっているということは、海路が狭く海流も複雑であることを意味するから、古くから水軍と呼ばれる武装集団が活躍する舞台となった。あるときは海賊となったり、あるときは戦国武将と同盟したりしたのである。こうしたことから、江戸時代も天領(幕府直轄)となり、大名ならぬ人名(にんみょう)により、自治的な支配が認められたのである。

さて、このルートに沿った船便を調べてみると、四国側の丸亀から塩飽諸島の本島(ほんじま)に定期航路があり、ここから本州側の児島に渡ることができるようだ。丸亀にはボートがあるが、ナイターレースであるので見ていたら便がなくなるのが残念である。JRの駅から港までは歩くしかなさそうだ。

細い道を行くので不安だが、まあ海の方に歩けば問題なかろうと思っていたら、7、8分で着いた。鉄筋の立派なビルで、本島だけでなく離島便がいろいろ出ているようだが、あまり利用者がいないのかひと気がない。待合室には自動販売機が置いてあるだけで切符売り場も乗船20分前くらいにならないと開かない。

待合室でしばらく待つ。時間になったので切符を買って乗り込むと、200人以上は乗れそうな立派な船である。ただし、乗客は10人くらいしかいない。大音量でNHKのテレビを放映しているので国会中継が非常にうるさいが、デッキに出るとまだまだ海風は冷たい。仕方なく、船室内に入る。

いよいよ出航。本島まではわずか20分足らずの船旅である。船が大きいので、ほとんど揺れない。丸亀ボートの沖合いを通り、瀬戸大橋を遠目に見ながら瀬戸内海を進む。瀬戸大橋の上から見ると、遠くの島まで見えてすばらしい展望なのだが、海の上からだとそれほど多くの島は見えない。

本島は江戸時代には番所が置かれた塩飽諸島の中心で、丸亀から進むとまず手前の牛島が見えて、牛島を回り込むように進んで本島となる。暖かくて風がなければデッキに出て景色を楽しめるのだけれど、まだ2月。国会のおじさん達のあまり上手くないプレゼンを聞かされるのも辛いものがある。

やがて本島港到着。船から見る限り、あまり建物がない様子である。

p.s. 続きをご覧になりたい方はこちら

丸亀から本島に就航している「ほんじま丸」。利用客に比べて船が大きいのは、本島が丸亀市に属するため、非常時の輸送手段を兼ねているためかもしれない。


進行方向を望む。手前に見えるのが牛島、背後に見えるのが本島である。

島内の様子。時間がないので少し歩いただけで港に戻った。



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