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リスボアカシノ

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 足しげく香港・マカオに通ったのは50歳になる少し前だから、かれこれ20年前のことになる。当時は返還後それほど年月が経っていなかったので、「一国二制度」でこれからもやっていくんだろうと気楽に考えていた。 ところが、民主化運動が大目に見られたのもわずかの間で、いまや北京に逆らうことは許されない。日本人で捕まったのも麻薬関連だけという建前だが、本当かどうか誰にも分からない。 その意味では、私がたびたび訪れたのはいい時期だったことは間違いない。二十年後のいまはもう難しいし、二十年前は逆に近代化されていなかった。一期一会。後から行ってみたいと思っても、どうにもならない。 以下は2005年6月の記事。ブログ・ホームページを始めた当時、21年前の記事である。もはや、旅行ガイドとしても読めないというか、お薦めできない。 -------------------------------------------------- リスボアカジノはもともとリスボアホテルに併設されているカシノ のはずなのだが、マカオ常連客でここを定宿にする人はあまりいない。とにかく値段が高い(平日でも700HK$を下回ることはほとんどない)上に、部屋もあまり大したことはない。メリットは雨に濡れずにリスボアカジノに行けることと、ホテル内の飲食施設が整っていることだが、リスボア側もホテルのグレードを上げようという気はあまりないようだ。 私が何度か行ってみて非常に気になったのは、午後2時チェックインのはずなのだが、2時過ぎに行って部屋に入れた試しがない、ということである。海外旅行者にとって、荷物を持ったままの移動はあまり快適なものではないし、外が暑いといったん部屋に入ってくつろぎたいのは人情だと思うのだが、「部屋をクリーニングしておりますので、午後4時でないとご用意できません」と必ず言われるのである(もちろん荷物は預ってくれる。ちなみに、4時に行って「あと1時間」と言われたことも1度だけだがある)。 それが、「それまでカシノで散財しておいで」ということなのか、前日泊のお客さんがなぜか(笑)揃ってレイト・チェックアウトなのか、あるいはその両方なのかは知らない。とにかく、ここのホテルにはゆっくりくつろげるロビーがないので、カシノかコーヒーショップか、あるいは私はよく知らないが何らかの方法で部屋でくつ...

奥多摩・天祖山

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少し前に三ノ木戸山にクマが出て登山者が負傷という記事を書いたばかりだが、今週は都民の森・三頭山である。こう立て続けでは、奥多摩はもう無理なのかと思う。 現在の状況は、少し前まで箱罠でせっかく捕まえたクマを山奥に逃がすなどしていた結果なので、一朝一夕では解決しない。少なくとも20~30年。未来永劫、廃道やバリルートには立ち入るなということになるかもしれない。 20年経てば90歳、30年経てば100である。私の奥多摩山行も、今生においては打ち止めということになりそうだ。こうして、取り組んでいたことが次々手じまいに至ると、いよいよ人生も終盤を迎えたと再認識する。 以下は2012年10月、天祖山に登った時の記事。天祖山は、青梅警察署山岳救助隊の金(こん)副隊長の本を読んで登った。奥多摩でもっとも印象深い山のひとつである。すぐ横のタワ尾根や小川谷にクマが出ているので、いまや単独登山は難しい。 ------------------------------------------- 柵の外からみるとまだまだ頑丈に見える神社も、近くで見るとかなり傷みが目立つ。突風とか何かのはずみで本殿の扉が開いてしまうと、あとは大日大神への道をまっしぐらであろう。 「天祖」「大日大神」「国光」といったネーミングから推測すると、天学教会の宗旨は宇宙の原理を理解し人としての正しい生き方を目指していくというものであったろうと思われる。そこに教祖のカリスマ性、神がかり的な能力、庶民のアニミズム的な自然崇拝の風土といった要因がプラスされて、この深山にこれだけの宗教施設を建てることができたのであろう。 その意味では、同じ奥多摩の御岳山も、丹沢大山も似た要素で成長してきたと思われる。いまや観光名所でしかない丹沢・塔の岳も、かつては尊仏岩があり信仰を集めていたという。このように日本人のアニミズムは非常に古く根強いものであったのだが、現世利益的な傾向を強める現代の流れの中、いまや朽ち果てようとしているのだろうか。 話は変わってこの天祖山、ガイドブックにほとんど載っていないなど、人気のない山である。 実際にこの土曜日、私以外に登ったのを確認できたのは3人だけ(1人は抜かれ、2人はすれ違った)。不人気の要因は、登頂に時間がかかること、日帰りの場合、往路を引き返す以外にルートがないこと...

知床遊覧船事故

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知床観光船事故の裁判で、先日一審判決が出た。2022年だから、もう4年前のことになる。 この事故では多くの犠牲者が出て、いまだ行方不明の方もいらっしゃる。荒天で危険だから休航で問題なかったはずだが、少々のカネのために出航させて取り返しのつかない結果となった。休航で入らなかった料金と、1人当たりの賠償額では、2桁どころか3桁違う。 観光船を運航した社長が実刑となるのは当然であるが、忘れてはならないのは、この会社を問題なしとして検査で合格させた面々である。国土交通省とその下請けだから責任は追及されないが、なぜ許認可業務なんですかということである。 つくづく、昔ちゃんと仕事しておいてよかったと思う。以下は2022年5月の記事。 --------------------------------------------- 知床遊覧船事故で、沈没した船には数日前に国の検査があったにもかかわらず、通信手段の不備などを見逃して合格としていたことが問題になっている。 現役時代に、船ではないけれども国の検査の下請けをやっていて、似たようなケースがあったことを思い出した。 検査基準を充たしていないにもかかわらず合格させようとする有形無形の圧力はあるけれど、 それに屈していては検査の意味がない。 私の関わった検査では、施設の設備が基準を充たしておらず、それを見逃しては検査する意味がないので、役所のご担当に「これは認めてはダメですよ」と言って不合格にしてもらった。 基準に達していなくても指摘して合格とするケースももちろんあるが(というか、大部分そうである)、このケースでは必要な壁もなく鍵の掛かるドアもなく、検査に来ることが事前に分かっているのにこれはないだろうという体たらくだった。 場所は九州の先の方で、役所の人は福岡から、私は東京から出張で来ている。関係者もわざわざ県境を越えて大勢来ている。検査をやり直すとなるとまた日程調整してやり直しになるし、指摘するだけでいいだろうという雰囲気も感じたけれど、私は認めなかった。権限は役所にあるけれど、ストップできるのは私だけだったからである。 そういうことをしているから嫌われて、出世できなかったし長く会社にいられなかったという考え方もある。けれどいま思っても、あれを認めていたら自分自身の運気を間違いなく落としてい...

「ひとりでは何もできない」は上前をはねる常套句

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この季節になると、不思議とリタイア前のことを思い出す。退職したのが7月末で今年で満10年になる。働かなくても食べて行けるのは、何よりの事である。 会社というのはくだらない組織だとつくづく思う。仲間内のローカルルールを優先させることも、自分で考えないように仕向けることもそのひとつの表れである。  以下は「一人では何もできないは上前をはねる常套句」と題した2019年3月の記事。7年以上前に書いたけれど、いまでもそう思う。 ---------------------------------------------------------- もう30年以上前のことになる。当時勤めていた会社に、直属の上司ではないものの何年か先輩にあたる人がいて、その人が 電通「鬼十則」のコピーを後輩達に配り、 これこそ社会人としてあるべき姿だと説教したことがある。 まさか30年後に電通が大問題を起こし、「鬼十則」を自ら否定しなければならなくなるとは夢にも思わなかっただろう。平成20年代まで待つこともなく、あんなものはアナクロで体育会的で、頭の中味を疑われるなんてことは、瞬間的に分かる代物である。 (軍隊からの系譜を持つ組織の多くは、ああいう体質を持っている。村上春樹の「羊」で、羊の入った右翼青年が隠匿した資産で保守党の派閥と広告業界を買い取ったというストーリーは、そのあたりの比喩と思われる。) それにしても、自分の会社が電通でないにもかかわらず、そんなことを正気で考えていたとしたら、先見性とか規範精神とか以前に頭が悪いとしか言いようがないのであるが、当時はさすがにそんなことは言えなかった。 「人間は一人では何もできない」というのは、そうした人達が好んで口にする言葉 である。言われた当座はなるほどそうだと思わせる言葉だが、よく考えるとこれは呪いの言葉である。組織に属さない人間は生き延びられないと言っているのと同じだからである。 よく考えてみれば分かることだが、「一人でできることには限りがある」のは確かだけれど、「何もできない」ことにはならない(よく考えなくてもそうだが)。 何人かで分業すれば1人でするよりも多くの成果が得られることは、何百年も前にアダム・スミスはじめ古典経済学が明らかにしている。でもそれは、 協力した方が経済的にみて有利というだけのことだ。 ...

去年は古賀志山に登れたのに

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クマの市街地進出は止まらない。 古賀志山なら大丈夫だろうと下調べをしていたところが、古賀志山どころか宇都宮市内に出てしまった。それも、東武宇都宮駅や栃木県庁のすぐ近くのアーケード街である。 小学校が休校になる地域で、山歩きしようというのは無謀である。残り十年かそこらを、クマに引っかかれて痛い思いをして過ごすのは嫌だ。君子危うきに近寄らず。危ないことはしないのが賢い。 以下は昨年6月に古賀志山に行った時の記事。わずか1年後にこういう事態になるとは思わなかった。 ---------------------------------------------------- 肩から赤岩山は、これまでよりずっと難易度が増す。 ロープが連続し、下りてくる人がいれば渋滞してしまうくらい狭い。とはいえ、通常の鎖(ロープ)場であり、慎重に三点確保すればそれほど危険な斜面ではない。幸い、朝早いので私の他に登山者はいない。 急傾斜がしばらく続き、少し平らになると頂上である。時間的には肩から5分かそのくらいだろう。「赤岩山」の立派な山名標の前に出た。木々の間から向こう側は見えるものの、展望はそれほど開けない。 頂上の向こう側にも道が続き、東側にも踏み跡はあったけれど、どうつながっているか分からない。進んだら絶壁岩場では困るので、来た道を引き返す。登った道ならたいてい下ることができる。 さて、問題はここからである。御嶽山・古賀志山へは、二尊岩・中岩という場所を経由する。 名前からして岩場だし、WEBには点線表示である。 さらにこの古賀志山一帯は、ロッククライミングで有名である。赤岩山程度なら何とかなるが、さてどうか。 肩まで戻って、二尊岩・中岩方向に進む。平らな道は百m少々しか続かず、その先は岩場である。しかも、数十m下に空中に突き出た岩が見える。あそこを抜けていくのはちょっと厳しそうだ。 そして、岩に固定されているのは、おなじみトラロープではなく、がっちりと打ち込まれたチェーンである。なんちゃって鎖場ではなく、本格的な鎖場。しかも丹沢のように下が見える訳でもない。   一本目の鎖は何とか下れたが、その時点ですでに後ろ向きにならなければならなかった。そして二本目の鎖は、空中に垂れ下がっている。まさに垂直な斜面であった。 三点確保して足場を探るが、どこにも引っかからない。下も...

クマが出た三ノ木戸山に登った時の話

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先週、奥多摩の三ノ木戸山(さぬきどやま)にクマが出て、ロシアから来た登山者が大ケガをした。クマに引っかかれたらそれだけで痛い。 三ノ木戸山は奥多摩からの一般登山道で、雲取山に行く人はたいてい鴨沢から登り尾根だが、途中の鷹ノ巣山や六ツ石山へは三ノ木戸山経由石尾根で登る人も多い。バスに乗らなくても奥多摩駅からすぐ行けるので、私も好きな尾根であった。 その山にクマが現れたというので、どうやら通行禁止になったらしい。このあたりは山野井さんがクマに襲われた場所でもあり、昔はいくつか集落があったがいまは廃村だらけである。このまま奥多摩に行くのが難しくなってしまうのだろうか。残念である。 以下は2014年4月、12年前に登った時の記事。三ノ木戸集落まで下りてくると、元国会議員の別荘だという巨大な木造建築があったのが印象に残る。 ---------------------------------------------------------------- 30分ほど休んで、再び出発。三ノ木戸山頂上付近のなだらかな平地を、さらに10分ほど歩くと分岐点である。ここには「三ノ木戸から奥多摩駅方面」の標識があって、1/25000図には載っていないが、WEB情報によれば普通に歩ける登山道ということである。今日はこの道を下る計画であった。ただ、ちょっと不安だったのは、つい2、3日前の日付で「通行注意。橋が壊れています」と書いてあったことである。 注意であって禁止でないのだから、歩いて歩けないことはなかろうと分岐点から南へと下って行った。 石尾根から三ノ木戸集落に向かう登山道は、スイッチバックの行ったり来たりで急坂が多い上に道幅は全体に狭いけれど、歩きやすく整備されていた。もしかすると、水道局の巡視に使われている道なのかもしれない。私の他には誰も歩いておらず、すれ違ったり抜かれたりせずに自分のペースで歩けたこともあって、むしろ絹笠から登ってきた道よりも歩きやすく感じた。 問題は、コースタイムが分からないことである。前回、十二天山から奥多摩駅までの帰り道に2時間15分かかったことからして、大体そのあたりが見当だろうと思う。そしてお昼の後に歩き出したのが12時20分だったから、下山は大体2時半頃と予測した。早めに着いてひと風呂浴びてホリデー快速に乗れればいいのだけ...

然別湖畔温泉

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北海道は自分で旅行するようになってから、何十回と行った。独身時に8年連続、子供を連れて8年連続、子供が独立して奥さんと二人で十数回。ここしばらく行っていないのは、 列車もホテルも観光地も中国人で一杯になったのと、温暖化で夏でも涼しくない のが大きな要因である。 日本渡航自粛令が出て、最近ではようやく静かになったらしい。インバウンド需要など長続きするものではなく、リゾートの土地買い占めもいい加減にしてほしい。もっともクマが市街地に進出しているので、彼らもまさか獲って食べる訳にはいかないだろう。 以下は2015年7月の記事。 北海道は広くみどころも多いが、その中でも然別湖(しかりべつこ)は印象深い場所のひとつである。あまり中国人が来なくなったら、もう一度行ってみたい。 ----------------------------------------------- 帯広市街から北に向かって2時間弱、然別湖は大雪山国立公園の区域内にある。きわめて環境保護に厳しい地域であり、道路も一部は一車線のみである。新規の建築が原則として認められないため、宿泊施設は然別湖畔温泉ホテル、ホテル福原の2軒しかない。 実はこの2軒以外に、40年前は然別湖畔ユースホステルがあった。湖畔温泉ホテルがやっていたユースホステルで、2段ベットのぎゅうぎゅう詰めだったと記憶しているが、当時はユースホステルなんてみんなそんなもんだった。ここの遊覧船も湖畔温泉ホテルが経営しているので、料金が割引になったように覚えている。 然別湖に泊まるのは、以来40年振りのことである。湖畔温泉ホテルは現在、ホテル風水という名前を使っているが、ところどころに古い名前の表示が残っている。おそらく閑散としているのだろうと思っていたら、予想に反して観光バスが6、7台という盛況であった。ホテル風水には中国人ツアー客が数十人、ホテル福原には京都の修学旅行生が泊まり、たいへんな賑わいであった。 ホテル風水は客室のすぐ外が湖なので、窓から然別湖が一望できる。湖の対岸が天望山、別名唇山(くちびるやま)である。湖面に映った山がちょうど上下の唇のように見えることから名付けられた。着いた日の夕方は霧に包まれて見えず、翌朝の夜明け前にようやく見えた。ところが日が昇ると、右端の峠から雲が進出してきて再び姿を隠してしまった。神秘的である。...

中山開拓・拓魂碑まで歩いてきました

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4月29日に石岡トレランコースの3回目、中山開拓の拓魂碑まで歩いてきました。ここは第二次大戦後、満州からの引揚者の受け入れ先として国有林を提供した土地で、移り住んだ方々はたいへん苦労されたという。 「拓魂碑」は最後に残った細野氏が亡くなった後にその功績を記したもので、開拓地のもっとも上、標高297mの独標付近に建っている。付近には細野氏の拓いた茶畑や製茶工場もあったが、残念ながら自然に還りつつある。 詳しい登山記録は5月21日から木曜日に ブログ 連載予定。 この日の行程 里山学校駐車場(40) 6:40 7:15 仏生寺集落(60) 7:15 7:30 中山集落(140) 7:30 7:50 林道分岐(230) 7:50 8:00 拓魂碑(297) 8:10 8:25 ふれあいの道合流(200) 8:25 9:00 北向観音堂(70) 9:15 9:45 里山学校駐車場(40) [推定距離 11.4km] p.s.「中高年の山歩き」バックナンバーは こちら 。 ↓どれかクリックしていただければうれしいですが、ブログ村は最近広告ばっかりなので、データ無制限でない方はご注意ください。      

鯨肉のから揚げケチャップソース

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誕生日が過ぎて、70歳まで残り1年。まだまだ若いつもりでいるけれど、残り時間は確実に少なくなってきている。 周囲の人達をみていると、あと10年くらいいまのまま大丈夫ではなかろうかと思っている。10年前はリタイアした年だから、それくらいは期待してバチは当たらないだろう。 とはいえ、あと20年すると90。いくらなんでも無事にはいられない。20年前というと盛んにカシノに出かけていた頃で、過去未来ひっくり返すとその頃この世にいない可能性が大きいのであった。悲しいとか空しいではなく、そんなものかというのが正直な気持ちである。 20年前には、すでにこのブログを開設していた。いまは連載していないが、ボクシングやNFL予想、日本史の記事も毎週書いた。「飲む話食べる話」と題して、酒や料理をテーマにしたシリーズもあった。当時は活動範囲も広く、書くことがいくらでもあった。 以下は2006年11月の記事。20年前になる。 ----------------------------------------- 日曜日の昨日、久しぶりにお気に入りの魚屋に行ってみた。木枯らしが吹く季節になったので、刺身というにはちょっと寒い。生きのいいいわしが出ていたら、紫蘇と梅肉をはさみ揚げにしたらおいしいだろうと思ったのだが、お目当てのいわしの他に鯨が安く出ていた。 加熱用と書いてあるが250円である。これまで鯨料理は作ったことがないが、この量と値段なら失敗しても目をつぶって食べてしまえそうだ。という訳で、昨晩の酒のつまみは鯨肉のから揚げケチャップソースあえに挑戦してみることにした。 子供の頃給食でいやというほど食べた料理であるが、あれから40年。舌が味を覚えているかどうか不安である。まだ鯨ベーコンの方が就職したての頃有楽町のガード下で食べたことがあったし、鯨が部分解禁になってさっそく買って食べてみたくらいでなじみ深いが、ケチャップソースとなると子供の料理である。ネットで調べてみても作り方など載っていない。仕方なく、自己流で作ることにした。 鯨肉は一口大に切って、下味をつける。給食で食べた鯨は脂身の部分が多くてぷりぷりしていた記憶があるが、おそらくそうした鯨は獲ってはいけない種類なのだろう。買った鯨肉は赤身だけで脂身がない。 下味はしょうがと長ネギ、しょうゆ。にんにくを入れると鯨の味に勝ってしま...

里山学校が使えず小町の里から朝日峠越え

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なんと朝日里山学校がイベントで駐車不可。予定変更で小町の里から朝日峠を越えて石岡トレランコースを歩いてきました。 前回はスマホが電池切れで現在地が分からなくなり、今回は里山学校が使えず。どうもこのルートは私と相性がよくないみたいです。 山行の詳細記事は4月30日から木曜日 ブログ に掲載予定。 この日の行程 小町の里駐車場(40) 6:50 7:40 朝日峠展望公園(301)  7:50 8:55 辻集落(30) 8:55 10:05 中山集落(155) 10:05 10:35 中山開拓地(241)  10:35 11:05 不動峠(300) 11:25(昼食) 12:25 小町山(325) 12:25 13:15 小町の里(40) [推定距離 20.1km] p.s.「中高年の山歩き」バックナンバーは こちら 。 ↓どれかクリックしていただければうれしいですが、ブログ村は最近広告ばっかりなので、データ無制限でない方はご注意ください。      

習慣を見直す

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誕生日まで1ヶ月を切った。この時期になると、不思議と(不思議ではないのだろうが)これまでの人生、これからの人生についていろいろ考える。 20年前は、カシノとポーカー、海外旅行に夢中だった。その頃、NFLをTV観戦するのが日課だった。いまは、NFLを中継するBSもなくなって、スーパーボウルさえ見なくなった。月日の経つのは早いもの。こうやって毎日を過ごす間に、お迎えが来るのかもしれない。 日々の生活についても、昨日今日ではそれほど変わった気はしないが、10年20年のレンジでみると、しなくなったこと新たに始めたことはいくつかある。こうやって時代は移り、いつしか20世紀は遠い過去になるのかもしれない。 以下は2019年2月の記事。リタイア後に書いた原稿で、新聞やWOWOWを解約したのはそれほど前のことに感じないが、ずいぶん昔のことになった。  ----------------------------------------------------------------- 新聞をとるのをやめて、つい最近はWOWOWを解約した。年金生活に入り、こうして長く続けた習慣を見直すことが多くなっている。 年金生活に限らず、収入の範囲内で暮らさなければ生活が破綻する。リタイアして収入が激減し、支出を切り詰める必要が出てきたのは気が重いけれども、不老不死ではないのだからいずれはリタイアしなければならない。心身がまずまず健康で頭が働くうちにそうできるのは、考えようによっては幸いなことである。 最近どこかで読んだことだが、 長く続けたことをやめるのに抵抗感が強いのは、脳の働きだそうである。 脳が単に費用対効果をシミュレーションするだけであれば、長く続けたかどうかはそれほど優先順位の高いことではなさそうだ。にもかかわらず抵抗感があるのは、そう考えることが脳にとって有利だからである。 「脳」にとって有利という意味は二つある。ひとつは「体」にとって有利なので「脳」にとっても同様に有利ということで、例えば寒ければ暖房をつけるとか厚着をして暖かくするという反応である。これは、人類の(あるいは生物の)進化の中で培われてきたもので、そういうシミュレーションができなければ、生き残ることが難しかっただろう。 こういう種類の脳の抵抗にしたがわないことは、好まし...