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Bloggerの記事ははてなに移します ~Blogger再構築の経緯

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FC2対策のひとつとして、Bloggerに記事を移したのは今年2月のことであった。以来半年、ようやく入力に慣れてきたものの、どうにも思ったような動きにならない。 もっとも不満なのは、 いつまで経ってもGoogle Consoleに反映されない ことである。同じGoogleだから少しは検索に当たるようになるのかと思ったら、どうやらトップページ以外はインデックスにも載らないようだ。だったら、FC2と変わらない。 Bloggerで記事にすれば、Googleにインデックスされやすくなるかと思ったら、全然そんなことはなかった。そもそも、トップページ以外インディクスされない仕組みになっているらしい。 Googleのいろいろな注文を聞いたところで、彼らは広告料にならない個人を相手にするつもりなどないし、手間をかけただけの見返りはまったく期待できない。時間のムダである。YouTubeだって以前はこんなに広告が多くなかったはずなのに、分単位で広告が挟まるのと同じことである。 一応、半年間待ってみたのだが、これ以上待っても進展は望めないし、Bloggerに載せた記事が検索される可能性もゼロに近い。だとしたら、ムダな時間をより減らす対応がもっとも賢いものと思われる。 ということで、 Bloggerの記事も再構築(リストラ)することにした。 山歩きと糖質制限の記事は他の記事と同様、はてなブログに掲載することにする。検索に乗らないのは同じでも、別ブログにしないだけ手間が減る。 Bloggerには、ver.5とCLASSICの2ブログを開いていたけれど、ver.5に統一してCLASSICの更新はやめにする。無料なので置いておくけれども、折を見て閉鎖するつもりである。 結局のところ自分で見るのが最大の目的だから、3つのブログに分けるより1つにまとめた方が効率的であり手間も少なくて済む。FC2は公序良俗の問題に加え、運用が不安定なのでどうしようもなかったが、はてなはいまのところ大きな問題はない。 という訳で、見ていただく方にはたびたびご不便をおかけするけれど、「中高年の山歩き」「糖質制限シリーズ」は今後 はてなブログ に掲載いたします。引き続き、よろしくお願いいたします。 p.s. システム・ブログ関連のバックナンバーは こちら 。      

ようやく山頂到着 下山は天気との競争 日光丹勢山(後編)

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トラロープを手掛かりにして急斜面を登る。道は狭く、滑りやすい地盤は歩きにくい。林道からいきなりこの登山道は、かなり面食らう。 道筋ははっきりしているものの、左右から灌木の枝が伸びて行く手に立ちふさがる。足を置く場所は確かなのだが、体が進むスペースがない。そのせいか、いくつか踏み跡が交錯している。みなさん、苦労して進路を確保しているようだ。 いったん安定したトラバース道に出るものの、再び灌木に遮られる。立ちふさがる枝を両手でかき分けながら進む。1/25000図によれば標高差30~40m登れば山頂のはずだ。 薮だか道だかよく分からない踏み跡を進むと、小広い場所に出た。 周囲にここより高い場所はないから、ここが頂上のようだ。木々に囲まれて展望はない。ランドマークはダケカンバということだが、正面の大きな木だろうか。 右手の木の低い場所に「丹勢山 1346m」の消えかけた山名標があった。奥に進むと幹にペンキマークのある木があって、そこにも「丹勢山 栃木の山紀行」の山名標があった。こちらはまだ書体ははっきりしている。 ベンチはないので、笹の上にレジャーシートを敷いて腰を下ろす。時刻は12時少し前。かなり難儀したが何とか正午前には頂上に着くことができた。この日のお昼はコモのあんパンとオレンジジュース。甘い匂いがするのか、さっそく虫が集まってきた。 さて、登りで時間がかかってしまったので、そうゆっくりしてはいられない。みんなの足跡をみると、同じくらいの高さに独標点があり、そこを通って来た道に戻れるのだが、例によって目印が何もない。 時間があれば踏み跡を辿って挑戦してもよかったのだが、林道から頂上までも心細い道だったのに、もっと心細い道だと困る。そしてもともと、1/25000図に載っていない。 空模様が怪しいのに、リスクを冒すことはない。来た道を戻ることにした。 灌木の薮は、登る時より下る時の方が歩きやすかった。ちょうど登る時の目線に枝が来るようである。取り付きの広場まで戻ると12時半。順調に下れれば、3時頃には駐車場に戻ることができそうだ。 ひたすら続くスイッチバックの下りを延々と下って行く。ここで驚いたのは、マウンテンバイクで登ってくる単独行のシニアとここの下りですれ違ったことである。 この日の山歩きで、駐車場以外で人の姿を見たのはこれが最

2018年発行ヤマケイ本のルートは通行困難 日光丹勢山(中編の2)

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車両通行止ゲートからほどなく、三叉路の沼の平分岐に到着。いま来た道の他は、清滝に向かう下山路と池の平方面の道しかない。池の平に向かう。 ところが、再び一般車通行止ゲートがある。先ほどのゲートより厳重だ。5分ほど歩くとアンテナ基地局のような設備があり、そこで道は行き止まりである。細い踏み跡はいくつかあるが、どこにどう通じているのか案内もなければ赤テープもない。 仕方がないので分岐に戻る。ガイドブックによると「丹勢山国有林」の古い標柱が登山道の目印と書いてあるが、そんなものはない。右カーブの左地点が入口ということだが赤テープも何もない。 踏み跡らしき道筋に入るが、刈り払いはしていないし、人の通った気配がない。それより気になったのは、林道から登山道の分岐に 柱とトラロープが倒された痕跡が残っていたことである。これは通行禁止ではないのか。 林道から1分入るだけでこの状況ということは、あと1時間のルートが安全に保たれている保証はない。途中で進退窮まるよりは、最初から入らないに越したことはない。2018年発行のヤマケイの本に書いてあるルートなのに、5年で通行困難とは。 結局、志津小屋分岐に戻って、歩行者通行禁止の林道を進む他なくなった。来た時下りだったから、戻る時は登りである。ただでさえムダ足となってしまい落胆したのに、追い打ちをかける登り坂である。分岐に戻ったら1時間経っていた。 志津小屋方向は引き続き砂利道で、しかも大きな岩がごろごろしていてたいへん歩きにくい。車の轍のない中央部分を選んで歩くが、それでも陥没があるので足をまっすぐ置けない。はるか先まで進むと待避所のあるカーブで、方向転換して再び長い距離を歩く繰り返しである。 幸いだったのは、朝早く出発して時間に余裕があったことで、まだ10時半だから正午前には頂上まで登れそうだ。問題は空模様で、ずっと林の中だけれど日が差していないことは分かる。もちろん、屋根のある休憩場所などない。 30~40分登ると、はっきりした目標物である雨量測定所の横を通った。測定機器は付けたしみたいなもので、アンテナと電気設備だけが目立って基地局みたいだった。もちろん、こんなところに携帯基地局はいらない。 雨量測定所から10分ほどで、左が開けた広場になった。目の前には男体山。 たいへんいい景色だが、国有林の常で案内

醤油大さじ1杯塩分3g

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糖質制限に加えて塩分制限も行わざるを得ない状況となって、またもや見直さなければならないのが食事の内容である。 最近のローテーションは、朝が奥さんの手作りワンプレートとトースト、昼がグラノーラか手作り料理、夜は肉だったりそば、スパゲティだったりする。朝晩は奥さんに塩を控えるようお願いしたが、問題は昼である。 グラノーラは1食当たり塩分0.4gぐらいなので、牛乳を加えても1g未満。あまり気にすることはない分量である。しかし、 日替わりで食べている手作りのお昼が、塩分制限にひっかかる のである。 糖質制限に加え、塩分制限を心がけている。手作り料理で糖質を少なくすることができるが、塩分はそう簡単に減らすことができない。工夫が求められる。 このところよく作っていたのはマーボ豆腐であった。豆腐一丁のカロリーは250~300g、糖質は2~3gで糖質制限には適した食材であるが、味付けが問題である。醤油は大匙1~2杯軽く使うし、豆板醤、甜麺醤、鶏ガラスープの素にはたっぷり塩分が含まれている。水溶き片栗粉を入れて完食していたから、お昼だけで塩分10gを超えていたと思われる。 マーボ豆腐の他には、手作りのおからとか、豆カレー、チリコンカンを小分けして冷凍しておき、お昼にしていた。おからを煮るのに大匙4~5杯の醤油、だしの素が加わるし、カレーやチリコリカンのスパイスミックスにも塩分。材料を炒めるのにも塩コショウは必須である。 他には、トーストにはごろも煮の缶詰を乗せて食べたりしていたが、これも醤油漬けである。ただ、1缶当たり1.5g程度のようだから、マーボ豆腐に比べるとまだ塩分が少ない。 糖質は制限しても、これでは健康によくない。 まったく迂闊なことであった。考えようによっては、多少のカロリーオーバーより悪影響があったかもしれない。 よくないことは分かったが、ならどうするか。お昼の場合は糖質や塩分に気をつけるだけでなく、費用を抑えることが重要である。おカネをかければいろいろやり方はあるけれども、費用がかかっては長続きしない。 とりあえずここ数日は、まだ残っている冷凍手作りカレーと、グラノーラでつなぐことになる。それから後は、塩分の少ない手作り料理を工夫するか、豆腐をそのままお昼にすることになる。 それにしても、ついこの間、安いし使うからというので、 そ

林道に「歩行者通行禁止」の看板 日光丹勢山(中編の1)

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豪快に落ちる裏見の滝を後にして、いったん駐車場に戻る。丹勢山へは女峰山の案内のある方向、「山火事用心」の横を入る。おなじみの日光標識がある。しかも、最近付け替えられた新しいものだ。 登山道はそれほどハードなものではないが、あまり刈り払いが行われていない。人通りも多くないようで、笹薮が腰辺りまで伸びているところもある。雨が降っていないからいいが、荒天なら林道経由が安心かもしれない。 十分ほど歩いて林道に出る。「女峰山→」の看板は林道を横切って登山道に続くが、ここを進んでしまうと方向違いである。丹勢山へは林道を左に登る。登山口には「丹勢山麓散策路」の表示があったが、ここに案内がないということは、最初から林道歩きを想定しているのだろうか。(下山時に通ったが相当遠回りになる)。 林道歩きはたいへん快適である。 このあたりは路面がいいので、右足と左足を交互に出していれば前に進む。林間の登山道では湿気がきつくてむっとしたが、林道はさわやかに風が抜けて汗が引いた。 とはいえ、工事車両の通行を想定しているので、傾斜が緩やかでたいへん大回りである。標高を上げていくと、2つ3つと沢を渡る。この橋が面白いのは、銘板が橋脚でなくガードレールに固定されていたことであった。昭和30年代、半世紀以上前である。 登山口から40~50分で景色が開けた伐採地となり、スイッチバックで標高を上げると伐採地中腹がキノミ平分岐であった。路面がいいのはキノミ平、慈観滝方向で、ちょうどそちらに女峰山が見える。ところが、眺めている間にどんどん雲に覆われていく。 女峰山がこうやって隠れていくのは以前も何度か見たことがある。 赤薙山の時は、昼過ぎから土砂降りとなった。男体山では夕方ホテルに着いたら降り出した。予報では「夜になると雨のところがあるでしょう」とお気楽なものだったが、下山までもつだろうか。 そして路面状況は、丹勢方面に進むとあきらかにグレードが落ちて、アスファルト舗装から砂利道となる。野州原(やしゅうはら)林道はこれから男体山方向が本線のはずだが、それだけ路面維持が難しいということだろうか。 さて、このあたりの注意看板は、「前橋営林署・宇都宮営林署」連名になっていた。登山口の看板も、この後の林道分岐の看板も「日光森林管理署」だから現在はそうなっているのだろうが、かつては前橋・宇

これは貧血じゃなくて塩分摂り過ぎ?

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今月はじめに検査結果が返って以来、引き続きいろいろ調べている。はっきり言って、精密検査もせず糖尿病薬、それもSGLT阻害薬を処方したのが気に入らない。自分の体だからリスクは自分自身にかかってくる。 開業して30年近く経っているから、最新知識があるかどうかは医師個人の努力である。糖質制限の情報提供すらしない訳だから、あまり期待できないのかもしれない。 検査結果で気になることのひとつが、ヘモグロビンとヘマトクリットの減少であった。 過去四半世紀、緩やかに落ち続けているから年齢的に仕方ないものと思っていた。貧血に効果があるとされる鉄のサプリメントを摂るぐらいで、他に何もしていなかった。 今回調べていて、はたと気づいたのはYouTubeにあげられていたある人の検査数値を見てからである。私のケースには直接あてはまらなかったが、不審に思って関連事項をいろいろ調べてみた。 すると、ヘモグロビンやヘマトクリットの異常値(低値)について、 2年前に医者は「貧血」といって再検査したのだが、これはたいへん疑わしい ことが分かった。MCV(平均赤血球容積)、MCH(平均赤血球ヘモグロビン量)、MCHC(平均赤血球ヘモグロビン濃度)といった貧血関連の検査数値に異常がなく、むしろ改善していたからである。 医者は過去のカルテを持っていてもいちいち見ない。自分のデータは自分で管理して考察しなければならない。 つまり、個々の赤血球をみると、容積にもヘモグロビン量にも異常はない。過去20~30年で傾向的に落ちていることもない。むしろ、最近では容積(MCV)が増えているから、その分濃度がやや薄くなっているくらいである(でも異常に低くはない)。貧血対策はあまり意味がないということである。 むしろ問題は、赤血球数、ヘモグロビン、ヘマトクリットが傾向的に下がっていることで、検査ではヘモグロビンに異常値が出たけれど、赤血球数、ヘマトクリットも傾向的に下がっている。特に、赤血球数の減りが激しく、30年間で1割以上減っている。これは老化現象だけとは言えなさそうだ。 赤血球数は血液µl当たりなので、赤血球が減っているのかもしれないし、血液が増えているのかもしれない。血液が増えると心臓はより多く血液を送り出さなければならないから、血圧が上がる。幸いいまのところ血圧は正常である。 さ

ヘモグロビンが再び低下・食生活の改善 糖質制限2024年7月(さらに続き)

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今週は はてなブログ も含めて、私自身の検査結果の記事が続くが、お付き合いいただければ幸いです。 基準値以下に減ってしまったLDLとお医者さんが気にするeGFRの他にも、いくつか気になることがあった。 まず第一は、尿素窒素(高すぎ)とヘモグロビン(低すぎ)である。 しばらく小康状態を保っていた貧血関連の数値、ヘモグロビンとヘマトクリットが、再び下降線をたどっている。歳だから仕方がないともいえるが。 ヘモグロビン13.8は、2年前の13.6に次ぐ低い数字である。このところ14~15だったのが、また急に下がっている。貧血などの症状はないものの、少し前に立ちくらみを起こしている。鉄やビタミンCのサプリを摂っているけれども、30年スパンでみると傾向的に下がっているので、年齢的にやむを得ない面もあると思われる。 2年前にはヘマトクリットも41.2まで下がったが、今回もまた42.1で、ヘモグロビンと歩調を合わせて減っている。ただ、こちらは異常値にはなっていない。男性平均は40~50とされるので、40を下回らなければそれほど気にすることはないかもしれない。 糖質制限で高たんぱく食を摂れば、人体の仕組みからして尿素窒素は必ず上がると江部先生が言っている。クレアチニンも若干その気味があって、筋肉量が多い人、肉を多く食べる人は高く出る傾向にある。 ただ、尿素窒素の上昇、クレアチニンの高止まりは腎臓に負担がかかっていることを示すことは間違いないので(江部先生はならないと言うけれども)、糖質制限しているとか、昔からそうだと安心せずに、対策が必要かもしれない。 ということで、今月から心がけているのは昔から腎臓をいたわるとされるいくつかの方法である。 塩分を制限し、高たんぱく特に動物性たんぱくをなるべく控え、アルコールを控える食生活 である。(禁煙もあるが、もともと吸わない) アルコールについては、7月は内科検診・歯科検診があったのでこれまで以上に控えて、1日当たり15gと6月より3g減った。厚労省基準の75%であり、1ヶ月にしてアルコール90g、日本酒にして四合半節酒したことになる。 減糖に加えて減塩というのは神経を使うけれど、歳も歳なのである程度気をつけるのは仕方がない。過去60年以上、そばつゆもラーメンの汁も飲み干す生活をしてきたの

中高年の山歩き 日光丹勢山(前編)

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暑くなると筑波山系は難しくなるので、日光連山を目指すことが多い。しかし2024年春は、ウィークデイに天気が崩れ土日になると晴れるという連続で、年金生活者にとって日程選択がやっかいであった。 道路も宿泊施設も混む。働いているみなさんが余暇を過ごす数少ない日に、年寄りが行って混雑をひどくすることはない。そして、3日4日続けて晴れるという日がない。泊りがけで行くのに天候が不安定では、また2023年のように予定を伸ばさなくてはならない。おカネもかかるし手配が面倒くさい。 でも、そんなことを言っているうちに梅雨が近づいてきた。例年5月にはチャンスがあるのに、今年は予定が立たないまま6月になってしまった。予定していた3日間は無理な様子なので、2日間で予定を立てた。少し前から気になっていた素泊まり宿に行くのもひとつの目的である。 その宿は「ゆとりろ日光」といって、 場所は二荒山神社中宮祠のすぐ近くである。 おおるり廃業以来、いろは坂の上に適当な宿がなく困っていたが、ここは1泊3,900円と格安。ドミトリーだが保健室形式ではなく、カプセルホテルのように空間が仕切られている。山小屋だと思えば何ともないし、温泉と共用スペースがある。 とりあえず行ってみて、問題ないようなら今後ベースキャンプにできる。という思惑もあって、ちょっと楽しみにしつつ計画した。目的の山は初日丹勢山、2日目寒沢宿跡(1867独標)とした。 丹勢山(たんぜやま)を選んだのはいくつか理由があって、ひとつはかつて日光でも盛んに歩かれた場所にかかわらず、現在では登山客がたいへん少ないことである。 登山口である裏見の滝は松尾芭蕉が「奥の細道」で訪れた場所だし、 丹勢山も古河電工の裏山で、古河電工には大正天皇の御幸があった。かつてはたいへんにぎやかだったという。野州原(やしゅうはら)林道の起点となっているのも、当時は物流の拠点だったからだと思われる。 しかし現在では、かつての登山道が寂れてしまい、石碑や石仏が笹原の中に放置されているという。刈り払いもあまりされておらず、ウリュー坂やキナミ平、三人立河原も訪れる人は少なく、廃道化しつつある。モッコ平もそれに近い。 野州原林道は通行できる状態を維持しているが、これは災害防止(男体山の治山)のためである。過疎化が進む中、いつまで続くか分からない。今の

血液検査の結果は 糖質制限2024年7月(続き)

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この春の「減り期」以来初めての血液検査、結果が返ってきた。 体重も順調に落ちているし、毎日体も動かしている。夜トイレに起きる回数が多く眠りが浅くなっていることを除き、体調に悪いところはない。だから検査数値も悪いことはないだろうと油断していたら、 こういう時に限っていろいろ出てくる のであった。 先月の検査結果が返ってきた。血糖値・HbA1cは改善したものの、他のところで異常値が出ていた。 まず言われたのは「 血糖値、ヘモグロビンA1cは正常です。 問題ありません。LDLコレステロールが下がりすぎているので、アトルバスタチンの量を減らしましょう。」 確かに、LDLの数字が59になるのも初めてだし、HDLより少なくなったのもこれまで見たことがない。HDLが42、LDLが208などという数字ばかり見てきたから、自分の体のこととはいえ違和感がある。 糖尿病薬がなくなってからも、高脂血症薬のアトルバスタチンは続けてきたから、その効果かもしれない。調べると、LDLの下がりすぎは動脈硬化のリスクが少ない場合と、逆に全身状態が非常によくないケースがあるとのことである。まあ、薬が減るのはたいへんいいことである。しかし、話はそれですまなかった。 「 eGFRの数字が引き続きよくない です。ここ最近、50台を行ったり来たりしています。腎臓の状態があまりよくないということです。」 eGFRとは推算糸球体濾過量のことで、腎臓がどの程度働いているかを示す数字である。本来は一定期間の尿を採取して調べるが、血液検査の結果から推定できる。推定にあたって使うのは、クレアチニン値と年齢・性別である。 eGFRは60~90程度が通常だが、60を下回ると腎機能の低下が疑われ、50を下回ると治療対象となる。私の場合、1年半前に50.7まで下がり、その後60台まで回復したものの、今回再び56.2と下がってしまったのだ。 ただ、クレアチニンは血液中の老廃物であるので、腎機能が低下した場合だけでなく筋肉量が多い場合や、たんぱく質の多い食事をとった場合にも上昇する。私は若い頃からクレアチニン値が高く、30~40代の頃は1.1とか1.2だった(昔は小数点1位まで測定)。 これまでの人間ドックでも、0.9を下回ったことはほとんどない。 だから、eGFRだけで判断せず、なぜそういう

減り期続く 生活習慣病療養計画書 ~糖質制限2024年7月

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2024年6月の最高体重は84.2kg、最低体重は82.3kg。 春以来の「減り期」が続いている。 最高とか最低は朝一番、起きてすぐ体重計に乗った時の数値である。だから、朝走ってきた後はこれより低い体重になっていることが多い。ボクサーなら減った時に計った数字でいいけれど、健康管理のためだから起き抜けの体重にしている。 31日間の平均をとると83.1kg。5月が84.4kg、6月が83.9kgだから、今月はこれまで以上に減っていることになる。さかのぼると1月が86.1kg、2月が86.2kg。「減り期」が始まった3月が85.0kgだった。 糖質制限の内容は特に大きく変えていない。白米・うどん・ラーメンは原則摂らない。朝はパンとワンプレート、お昼はグラノーラなどの日替わり、夕飯はおかず中心で主食なしの日が半分くらい。間食は結構摂っている。 聞くところによると、 糖尿病の生活指導の中に、とうとう糖質制限が取り入れられた そうだ。当り前というか、遅すぎである。糖尿病学会のボスの意向とかどうしようもない理由に違いない。江部先生は20年以上前から効果をあげているのに。 姑息なことにその指導では「糖質制限」と言わず「炭水化物制限」らしいが、同じことである。そして、炭水化物は必須栄養素ではないことも明記してあるそうだ。私が糖尿病になってすぐそういう情報提供をしてくれれば、もっと早く薬を減らせただろう。 情報提供といえば、前回お医者さんに行った時、変な書類にサインを求められ変な説明をされた。「生活習慣病療養計画書」という書類で、この春の診療報酬改訂によりこれを説明しないといけなくなったそうだ。 生活習慣病療養計画書。診療報酬改訂により、余計な書類が増えた。こんなことで医療費を増やしてどうすると思う。 その内容は、体重が重すぎるので基準体重まで減らしましょうとか、いつの時代かと思わせる。 食事を減らせとか節酒とか、1日1万歩とか、いまさら言われて何か参考になるんですか という世界である。 奥さんの知り合いも同じように医者でこの説明を受け、あと3kg減らしましょうと言われたそうだ。「この歳になって3kg減らせる訳ないじゃない」とおっしゃっていたという。 この療養計画書に糖質(炭水化物)制限のことなんてひとつも書いてない。書こうとしてもその欄(その

展望台・三登谷山を経由して下山 雨巻山(完結編)

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雨巻山頂上からは、「三登谷山 →」「展望台 →」の二方向に案内がある。まず展望台に行ってみる。 頂上からかなりの傾斜で下りるので大分遠いのかと思ったら、すぐに登りとなる。雨巻山は南北の双耳峰となっているようで、展望台のある南峰の方が広いように見えた。 はじめは大きいベンチしか見えなかったのだが、「展望台」という立札が立っている。 木々に囲まれて、高さ5mほどの木組みの塔があった。 展望台というより物見やぐらといった方がイメージに合う。 8段ほどの梯子を登ってやぐらの上に立つ。塔全体も木々に囲まれているが、やぐら上部も茂みの中で、展望はあまり開けない。繁った葉の向こうに、少しだけ山が見えた。 WEBによると、かつてこの展望台から筑波連山が見えたということだが、残念ながら木々が繁りすぎて展望は開けていない。雨巻山には東側と西側の展望が開ける場所があるので、南側も望めればいいのだが、なかなかうまくいかないようだ。 再び雨巻山頂に戻り、いよいよ三登谷山(みつどやさん)に向かう。これまでと同様登ったり下ったりのハードな稜線歩きである。2ヶ所ほど、林道経由で大川戸に戻るショートカット道がある。 四、五十分歩くと、展望コース分岐という場所になる。ここは西山麓の栗生(くりゅう)への登山道で、大川戸に行く途中通った集落である。大きな駐車場はないが、展望コースというくらいで景色はいいのかもしれない。 そして、この分岐に展望の開けている場所がある。御嶽山や雨巻山より雄大かもしれない。 そして、ここからは西側の眺めが広がる。日光連山が見えるはずであった。しかしこの日は水平線間際が霞んでいて、残念ながら見ることはできなかった。 展望コース分岐から5分ほどで三登谷山頂である。山頂にはベンチが置かれているが、狭くて2脚しか置いてない。この日も先客がお昼休憩中、私が水分補給していたので、次のグループが休めなかったのは気の毒であった。 三登谷山から大川戸まで、ようやく下り基調の道となった。この日はなだらかな稜線歩きを期待していたらアップダウンが続き、累積標高差は900m近くなった。とはいえ、コースそのものは整備されていて、薮漕ぎしたり岩がごつごつということもない。 しばらく下っていくと、傾斜がゆるやかになり道端にもシダが目立つようになり、沢が近い雰囲気になった